気磨暮俳句会
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第216回気磨暮俳句会のご報告 <如水庵から> 講評 三田土龍 平成24年1月15日(日)蒲郡荘「小島A」
出席者(6名)
三田土龍 小田一生 田中まるこ 杉浦末川 平岩鹿月 鈴木章ノ介
投句者(6名)
鈴木亜斗武 吉里ひとみ 牧原裕三 小野田初枝 本多雅女 岩月真之介

                                     《如水庵から》
 「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」芭蕉。一六九三年作。「遠山に日の当りたる枯野かな」虚子。一九〇〇年作。芭蕉句と虚子句の時間の隔たりは
二百七年。当然、虚子は芭蕉のこの句を知っていた。一流の俳人が先人の句を踏まえて句を詠んだとしたら、何らかの関係性が両句にはあるんじゃ
なかろうかと、小生は考えた訳です。あくまで小生の推論としてですが、虚子はこの句によって芭蕉の叶えられなかった夢を私が叶えられるように働い
てみましょうかと、先人に問いかけているように思います。この時、青年虚子二十六才。まだ海のものとも山のものとも不確実な年代である。その後、
半世紀にわたり日本国中、津々浦々まで俳句を拡めた功績はあまりに大きい。ということで、これはあくまで推論ですので追求しないで下さい。
平岩鹿月
 「巻きぐせのまだついたまま初暦なんでもないことが句になるとむしろ愉快である。
鈴木亜斗武
 「葉牡丹や木札に『和裁教へます』」洒落た句だねえ。
鈴木章ノ介
 「丁寧に思いを一筆年賀状」さすが銀行マンというところか。
吉里ひとみ
 「吾よりも夫は湯たんぽ愛しけり」熱エネルギーは、湯たんぽよりもひとみ氏の方が勝ると思われる。
牧原祐三
 「広々と心の中に冬木あり」広い心だから冬木があるのか?
第215回気磨暮俳句会のご報告 <如水庵から> 講評 三田土龍 平成23年12月18日(日)骨酒すぎ「二階和室」
出席者(7名)
三田土龍 小田一生 吉里ひとみ 田中まるこ 杉浦末川 平岩鹿月 鈴木章ノ介
投句者(6名)
鈴木亜斗武 牧原裕三 小野田初枝 本多雅女 岩月真之介 金子エム

                                     《如水庵から》
 「今年はと思うことなきにしもあらず」正岡子規。テレビドラマ「坂の上の雲」の前半の主人公のひとりだった正岡子規は布団の中でのたうち回って
いた。その子規30才の句だから、まだ自分の足で外に出られた頃の作と思われる。ひょっとしたら雑誌「ホトトギス」創刊の年にあたるかもしれない
。俳人というもの必ず誰かの影響を受けているが元を正せば現代俳句の99%は子規にたどりつく。例えば小生、師は小田美希次。
その師は富安風生。その師は高浜虚子。その師は正岡子規という具合である。その子規が今から百十五年前に創刊した「ホトトギス」に不思議な
ご縁で半年前に入会した小生である。上記の句のごとく今年はと思うことがいくつもある。「熱あるところに花が咲く」という言葉がある。一年を通して
、そうありたいと願っている。
鈴木亜斗武
 「また元の二人となりし聖夜かな今回は主宰をひとみ氏にかわってもらったので、いつもより格調のある句会になったと思っている。
杉浦未川
 「根深汁酔い冷め旨し母の味」母の味はいくつになっても忘れられない。
本多雅女
 「北風や頑固親父が庭を掃く」ユーモラスな句である。新境地ですね。
岩月真之介
 「短日や列車の尾灯はや灯る」独自の視点あり。
牧原祐三
 「落葉焚揺らめくものの貴さよ」久しく焚火したことないですね。
第214回気磨暮俳句会のご報告 <如水庵から> 講評 三田土龍 平成23年11月20日(日)蒲郡荘「大島A」
出席者(7名)
三田土龍 小田一生 田中まるこ 杉浦末川 杉村酔月 平岩鹿月 尾池豊念
投句者(7名)
鈴木亜斗武 吉里ひとみ 牧原裕三 小野田初枝 本多雅女 鈴木章ノ介 岩月真之介

                                     《如水庵から》
 「完璧な椿生きてゐてよかった」武藤紀子。俳句結社『円座』主宰。昭和24年生。この句は、大病を克服できた喜びの句である。彼女の第三句
集「百千鳥」の巻末の一句でもある。私は椿が大好き。そして今、見事な椿を元気になってこうして観ていられるという喜びが伝わってくる。
たまたま本屋で角川書店の月刊誌「俳句」を立ち読みしていたら彼女の記事が二頁にわたって載っていた。さっそく買って彼女に葉書を出した。
すると彼女から「円座」が送られてきた。小生が「古志」在籍中一番お世話になった方で、何回も吟行会を共にした仲間である。彼女も企業の役員
という立場上、仕事と家庭と俳句活動で多忙と思われる。これからも体を大事にして主宰の勤めに励まれることを期待している。
田中まるこ
 「小春日や猫につられて大欠伸それで猫の名は?
小野田初枝
 「小春日や三番線の発車ベル」詩情あり。
平岩鹿月
 「柚子湯入る順番あみだくじで決め」虚子が好きそうな句ですよ。
鈴木亜斗武
 「朝霧の中よりぬっと牛の鼻」この取り合せ。気に入っている。
尾池豊念
 「目薬一滴まばたきをして寒椿」老化のせいかパソコンや読書で目が疲れる。目薬は一年中手ばなせない。
第213回気磨暮俳句会のご報告 <如水庵から> 講評 三田土龍 平成23年9月25日(日)蒲郡荘「大島B」
出席者(8名)
三田土龍 小田一生 岩月真之介 本多雅女 田中まるこ 杉浦末川 杉村酔月 鈴木章ノ介
投句者(5名)
鈴木亜斗武 吉里ひとみ 牧原裕三 小野田初枝 平岩鹿月

                                     《如水庵から》
 「熱燗や恐妻家とは愉快なり」高田風人子。大正十五年生。ホトトギス同人。居酒屋で友人達と酌み交わしていたところ、その中の一人が
ポロッと妻の恐さをもらした。すると、我も我もと妻のことを話し出す。永年連れ添った妻の恐い面だけを酒も手伝ってか大げさに話す。こん
なことがあった。こんなことを言われた。作者はそれを愉快ととらえた。巧みである。この「愉快」の一言で地獄から天国へ高飛びするようで
安心してしまう。よく男はいくつになっても子供だと女性は言う。まだ、そう言われているうちは安全圏ではないだろうか。無論、恐妻家は安全
圏のまん中あたりにいる気がする。恐妻家に幸あれと願って止まない。ハイ、講評を始めます。
小野田初枝
 「小鳥来て何かいいことあるやうなとっても素直な句である。
平岩鹿月
 「夜長しネットで注文新刊書」新鮮な句。リズムも良い。本を注文する浮き浮きした気分が伝わってきます。
小田一生
 「黙々とただ黙々と椎拾ふ」珍しく一生氏にしては哲学的な句である。こんな少年だったんでしょうか。
鈴木亜斗武
 「秋の夜名画座にまた笠智衆」先日テレビで小津安二郎監督の遺作(昭和37年)「秋刀魚の味」を観た。笠智衆と岩下志麻共演
24才の娘が嫁ぐ日まで細やかな日常を描いた名作である。笠智衆は、日常も映画の中でも全く同じ人だったそうな。
三田土龍
 「耳鳴りの静まりし朝小鳥来る」疲れると耳鳴りが大きくなる。ぐっすり眠るとあさまる。そんな朝、風呂にはいってたら小鳥の声が
聞こえた。至福の時である。
第212回気磨暮俳句会のご報告 <如水庵から> 講評 三田土龍 平成23年9月25日(日)蒲郡荘「小島A」
出席者(10名)
三田土龍 小田一生 平岩鹿月 岩月真之介 本多雅女 田中まるこ 杉浦末川 杉村酔月 鮫島昌子 鈴木章ノ介
投句者(6名)
鈴木亜斗武 吉里ひとみ 金子エム 牧原裕三 小野田初枝 尾池豊念

                                     《如水庵から》
 「月天心貧しき町を通りけり」与謝蕪村。蕪村は、江戸中期の画家、俳人。句意は、空の真ん中に名月がかかっているその下を、ただ独り
歩いて行く。貧しげな町並みの中を通って。この句、三百年も前に作られた作品ながら少しも古くさくない。芭蕉の句しかり。一茶の句しかり
である。古典には時代をとびこえて人々に親しまれ続ける何かが潜んでいる。西行、兼行、西鶴等いつまで経っても飽きられることなく読み
継がれる作品には、この国の文芸の血脈が通っている。この気磨暮俳句会の皆さんも、そんなことを心の片すみに潜ませて俳句に親しん
でほしいと思う。では講評を始めます。
岩月真之介
 「名月を枕にしつつ眠りけり気持ちに余裕がある。
牧原祐三
 「月天心あなたに出逢ふために生き」ラブストーリーですね。そこへ「月天心」を持ってくるとは。かぐや姫伝説にもからんで
くる。
田中まるこ
 「コスモスややはらかき風集めをり」調べがよい。
杉浦未川
 「名月を酒の肴に夜も更けり」いい時間ですね。
平岩鹿月
 「子を連れて実家へ急ぐ敬老日」上手に出来ました。まるで冷蔵庫にあるありあわせで御馳走が生まれたような。
第211回気磨暮俳句会のご報告 <如水庵から> 講評 三田土龍 平成23年8月21日(日)蒲郡荘「小島A」
出席者(10名)
三田土龍 小田一生 平岩鹿月 岩月真之介 本多雅女 小野田初枝 田中まるこ 杉浦末川 杉村酔月 鈴木章ノ介
投句者(4名)
鈴木亜斗武 吉里ひとみ 金子エム 牧原裕三

                                     《如水庵から》
 先月20日、名古屋市栄の愛知県美術館で開催されている「棟方志功展」を観てきた。あまりの迫力に圧倒された思いである。三百点の
作品を全て鑑賞し終えたところに多くのレプリカが販売されていた。売子は、欲しかったらどうぞという体で立ってる。ずらっと並べられたレプ
リカを見てもこれといったものがない。壁に目をやると二点の本物のごとき板画がかかげてあった。これが欲しいと思い、その一点を注文し
た。注文してから刷るということで一ケ月後に届くと言われた。そして8月22日の会社へ届いた。「胡須母寿花頌」(こすもすかしょう)オリジ
ナル複製画である。これを会社の玄関に掲げた。とても気に入っている。毎朝、これを観るのが楽しみである。仕事のあい間にも観る。
この板画を観るだけで嬉しくなる。実にいい買物をしたと思っている。はい、講評始めます。
本多雅女
 「親不孝詫びつつ墓を洗ひれり「墓洗ふ」の本意を言いつくしているようで素晴らしい。
杉浦未川
 「父戦死昭和平成墓洗ふ」実体験を句に表現すると力強さが伝わります。
平岩鹿月
 「屋上へかけあがり見る遠花火」臨場感あり。
鈴木亜斗武
 「根性も胡瓜も曲がってをりにけり」いい句だねえ。
田中まるこ
 「堀深き家紋なぞりて墓洗ふ」家紋知らないと盆提灯作るとき困るよ。
第210回気磨暮俳句会のご報告 <如水庵から> 講評 三田土龍 平成23年7月17日(日)蒲郡荘「小島A」
出席者(9名)
三田土龍 小田一生 平岩鹿月 岩月真之介 本多雅女 小野田初枝 田中まるこ 杉浦末川 杉村酔月
投句者(2名)
鈴木亜斗武 吉里ひとみ

                                     《如水庵から》
 「風生と死の話して涼しさよ」高浜虚子。弟子の富安風生がノイローゼになり死ぬのが恐ろしくて眠れないと虚子に話した。虚子は死ぬこと
はまったく恐くないと答えた。風生は、その対話がきっかけでノイローゼが治ってしまった。数年後の風生の句に「かの窓なりき師は籐椅子
より乗り出され」がある。詞書に「こなや旅館『死の話』の思い出の二階、道より仰がある」とあるので師の虚子への感謝の句である。誰かに
悩みを打ち明けるにしても風生ほどの人になると虚子しかいなかったかもしれないと思われる。それでは講評の始まり始まり。
鈴木亜斗武
 「実直に生きて似合わぬサングラスおそらく、そうであろう。
平岩鹿月
 「ペアルック子の夏シャツは小さくなり」岸風三楼に「ふるさとの母立葵より小さし」という句があり、俳句の場合「小さい」を
「ちさい」と読むこともある。
本多雅女
 「サングラス妻と気づかず通り過ぎ」ユーモアあり。
吉里ひとみ
 「鵜飼果てお次はどこへ行きませう」手術後治療中とのこと。時間が薬です。決してあせらないで治して下さい。
小野田初枝
 「バナナ一本夜店で買った遠い過去」そこにフーテンの寅さんがいるような気がする。ちなみに「夜店」も夏の季語であるが、
この句の場合は「夜店」でないと迫力が無くなる。



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