相楽の森(2)
相楽の森(3) 相楽の森(4)
 さくらは山桜がいい。

 ’02/12/06撮影

石神像群は二尾根にまたがっている。
ひとつは観音堂の横手から丹野山(たんのやま/みどうやま)山頂までの遊歩道に。
もうひとつは、丹野山・山頂直下、北よりの見落としそうな道を下る脇々に。

いくつもの石像に励まされて登頂し、「また来いよ!」と声をかけてくれるやさしい石像たちのいる世界である。
 
幾つもの石像に出会える癒しの道でもあるが、戦国時代を逡巡したいところでもある。
丹野山には過って城が築かれ、その城主こそ萩原左衛門尉(さえもんのじょう)芳信であるが、語られている一編は次の通りだ。
なんといっても彼は、悪事の限りをつくした狼藉であると。
つまり、丹野山・山上の全福寺を、その僧徒をもって破壊し、その材で砦を築き居城としたというのだ。
全福寺には十二の子院があったといわれるが、山域の子院は悉く破壊されたようだ。
  
 ・・・、・・・。

ところうで、芳信は、ほんとうに悪の権化だったのだろうか?はたしても寺側、寺領をなした悪どい権門ではなかったのか?
狼藉・芳信とはいえ、惣民の支持無くして戦いえたのか?
単に、支配者対支配者の戦いで萩原氏側が勝利しただけでは?最後は従者によって謀殺されたようだが、「左衛門尉」とは?
「職席」で、相当に高位ということだから、これが的外れってこともないのでは?
ただ、ここにも平民の犠牲が不明だ。その犠牲は如何ほどだったことか?
この時代、社会を支えてきた平民衆が虐げられてきた筈だし、今も平民は同じ境遇だから気になるといえば、気になるところだが・・・。
 
<追記>
全福寺は三河七御堂の一つといわれている。
その七御堂とは、青龍山金蓮寺、龍田山長泉寺、丹野御堂全福寺、陀羅尼山財賀寺、赤岩山法信寺、舟形山普門寺、煙巌山鳳来寺である。
なお、全福寺には、十二子院があったが現存するのは養円寺と勢徳寺のみとなったようだ。
廃寺となった子院は、多福院、直諦院、観心寺、般若院、慈雲院、護持院、松本院、千手院、仲之院、普門院である。
 

◆ それで、全福寺と十二僧院は何方が発願し、誰が建てたかって?
源頼朝が願主で安達藤九郎盛長が建立? 「いやー、それは百姓と大工(でぇーく)が建てたじゃねぇーかい?」
願主? 「これは、難儀な下問を! ・・・まっ、占い師(祭司)ちゅうこってどげぇーじゃろな?」
 はぁ〜んっ?
 

★ 晩秋、石神が鎮座する二尾根の紅葉はアナ場だ。・・・だから、この山域にはゼッ・タ・イにカメラだけは持っていかないように!
なぜなら、この山域の落ち葉の感触と秋色はカメラでは不十分だからである。
でも、なにも困ることはない。
目とココロに写しとってくればいいのだから・・・。
  
薫風に誘われて(↓) 相楽の森’01,05,12撮影