06月30日 その6

本物のわさびというのは大変に美味しい。手軽に使っているチューブのわさびにはホースラディッシュという西洋わさびが使ってあるらしいから本物ではない。財力がない私だが、本物のわさびでアワビの刺身を食べてみたい。貧乏で食べられないものは多いけれど、それを妄想することは貧乏人にもできる。家族が静岡に行くといつも土産はわさび漬けだった。私は好きでぱくぱくと食べていたが、女房殿があまり好きではないらしいので最近は食べない。わさび漬けならばそんなに高くはないので、近いうちに買ってもらって少し食べてみようかと思っている。

06月30日 その5

妄想日本料理という番組をやっているが、これはなかなか面白い。例えばわんこそばのようなくだらない料理が、外国人に作らせると立派な一品になる。キッチンが走るという番組もたまに目にするが、この番組では当たり前の食材が豪華な一品になる。こんな番組を見ているとコックさんは凄いと思う。実に美味そうな料理を作る。それなのに何で食堂ではそんな美味そうな料理がでないのか。私は、制約が良いのではないかと思う。訳の分からない説明だったり、そこの特産品だったりを使うという制約がコックさんに美味そうな料理を発想させるのではないかと思う。そんな食堂には是非行ってみたい。

06月30日 その4

ギリシャのチプラス首相は借金を踏み倒すことに決めたらしい。外国が購入している国債は「払いません」と言えばそれで済むというから驚きだ。それで当面は良いかもしれないけれどもこれからは金を貸す国はないだろう。やっていけるのだろうか。普通は通貨が大暴落してインフレになるはずだが、ユーロを使用していればそんな弊害もない。借金踏み倒し得だ。ろくなニュースがないとブツブツ言っていたら、新幹線の焼身自殺と箱根の噴火があった。どちらも小さなニュースだが、当事者にとっては迷惑な話だ。もっと将来が明るくなるような話はないのだろうか。

06月30日 その3

ハンガリーというのは随分と親日国らしく、そこにスズキが進出しているらしい。スズキはダイハツなんかと違いその辺が目敏い。商売として進出することはそうであるとしても、初めはガッポリと儲けようという気は無かったろうと思う。共産主義時代にろくに工業も発展せず、自由化しても貧しかったろうから、好きな色の車が買える(共産主義時代は車も配給制だったらしい)ということでハンガリー人は喜んだろう。一年後には現地工場を作っており、これにもハンガリー人は喜んだろう。残念ながら儲け第一主義のトヨタには決して真似できない美しい企業の姿勢だ。

06月30日 その2

今日は梅雨空だ。外をウロチョロしない私は梅雨空は嫌いではなく、むしろ赴き深い思って眺めている。こんな時期にはテレビでも傘やらの紹介をしているが、「何で鞄のカッパはないのか」とふと疑問に思った。皮などは濡れるとシミになるし、布の鞄でも中まで湿れば携帯などに障害が出かねない。肩紐が通るようにした四角いビニールシートがあればそんな弊害を防げそうなのにと思うのだが何故ないのだろう。

06月30日

最近のニュースはつまらない。話題は朴との会談、報道批判問題、国立競技場の資金問題などだが、どれも実にどうでも良いことだ。政権にとってどうでもいい話題に花が咲くことは悪くはないのだろうが、それにしてもくだらなすぎる。参議院選挙改革や公務員改革の方が重要だと思うが、重要なところに注目が集まらないというのは良いような悪いようなだ。何気なく制度ができてしまえばそれはそれで悪くはないが、議論なしに決まってしまうのは本当は良くない。議論がややこしくなるだけだから馬鹿は放っておくという戦術はあろうが、根気よく教育するのも政治の責任だ。

06月29日 その5

今日はエビチリだということで楽しみだ。何故か最近エビチリや麻婆豆腐を食べていないからだ。大した理由はないのだろうが、何故か○○を暫く食べていないということはある。不思議なもので食べ物は久しぶりに食べると凄く美味く感じることがある。期待感のようなものが味覚に影響するのだろうが、こうしてみれば味覚もいい加減なものだと分かる。

06月29日 その4

ギリシャがデフォルトしそうだが、はて、あのややこしいEUの国がデフォルトしたらどうなるのか。興味津々だ。普通の国は自国の通貨を印刷できるから、金がない→金を刷ろう→とんでもないインフレになる。という経過を辿りそうな気がするが、ユーロでは勝手に刷るわけにもいくまい。たしかEUは人の出入りが自由だったような気がするが、そうなると食い詰めたギリシャ人が大量に他の国に押しかけてその国の失業率を悪化させる。果たしてギリシャはどうするのか。興味津々だ。

06月29日 その3

「○○に攻め込みます」と奏上すれば、多分、陛下は「戦を回避する方法はないのか」とか「大丈夫なのか(勝てるのだろうな)」とかお聞きになったこともあるのだろう。そして、東條とは限らないが、幹部は戦をするための理由を百も並べたのだろう。そうして泥沼の戦争は続いた。多分、陛下は赤子(兵士)の死を何よりも避けたいとお考えになられただろうし、国民は貧しい暮らしが一日も早く解消されるのを願ったのだろう。その思いを嘘で固めた理由によって組織防衛のために利用した軍幹部は万死に値する。陛下がA級戦犯合祀以来お参りにならなかったのも分かるような気がする。

06月29日 その2

昭和天皇はA級戦犯合祀以降は靖国神社にお参りにならなかったが、戦争を始め、戦争に負け、多くの国民を死なせ、そして終戦を迎えた天皇として忸怩たるものがあったのだろう。東條なんかは昭和天皇にとっては許すべからざる大悪人だろし、我々にとっても『嘘をついて戦争を継続した』という点で大悪人だと呼んでも良いだろう。結局のところ、軍幹部は己の地位や仲間の地位を守るために配下の兵士を殺すという大罪を繰り返したと言われても仕方がない。

06月29日

今の日本は概ね幸せな国だが、それを作ったのは我々の親の代だ。彼らは戦争を体験し、戦後のとんでもない貧困を体験し、アメリカの理不尽に耐え、日本をここまで復興させた。考えてみれば大したものだ。その子供がヒッピーになって、赤軍派になって日本を辱めて喜んでいるが、生きるのに精一杯で子育てに十分な時間を割けなかったということもあるだろう。自分たちの受けてきた教育が全く否定されてしまったという雰囲気も影響したかも知れない。馬鹿で有害な子供を育ててしまったことは確かに罪だが、そんな辛さを体験したことのないこぎれいな奥様が安保法制反対のデモに参加しているのを見ると私はとても悲しい気持ちになる。そんなこぎれいな奥様に限って親の介護ができずに親を施設に放り込んで涼しい顔をしてデモなんかを楽しんでいる。辛いばかりの毎日をグッと歯を食いしばって耐え、子供達がせめて食うに困らない世の中を手渡そうと歯を食いしばって生きてきた。彼女らはそんな親たちの悲しさに思いを寄せることなどはないのだろう。私は人の死が悲しいと思ったことはないし、自分も一刻も早く死にたいと思っている。だから葬式だのなんだのの意味の分からない儀式は鬱陶しいだけだが、親の火葬の時には「ご苦労さん」とだけ言ってやろうと思っている。

06月28日 その9

戦争に一番必要なことは負ける戦争をしないという事だ。メンツだけで動いて負けるとその打撃は計り知れない。辛いことがあるかも知れないけれど、今勝てないのならばチャンスが来るのを待つしかない。勝つか負けるかの判断は正確な情報力による。もう一つ大切なことは戦う理由だ。例えばどこかが攻めてこればこれを排除することもやむを得ないが、そうでなければ理由のない戦争は負けるからしない方が良い。例えば幕末に幕府が不平等な条約を結んだかも知れないが、それは長州には実害はない。従って長州には戦争の理由がない。それなのに戦争をしたから負けた。戦争なんぞはしない方が良いという原点を忘れると思わぬ落とし穴にはまる。

06月28日 その8

地域が云々と考えると名古屋に発展する見込みはないと思う。それは東北でも北陸でも東京からなら早く行けるが名古屋からでは行きにくいからだ。わざわざ名古屋で下りる理由もない。そうであれば名古屋の位置付けは単なる通過点でしかない。大阪も似たようなものだが、名古屋の鬱陶しいところは交通機関が集積していないという点だ。飛行機に乗るのも遠いし、インターなどはとんでもない端っこにある。例えばトヨタに行くとして、名古屋までは良いとしてもそこから本社に行くのには凄く時間がかかる。もしも他に制約がないのなら、本社を置くとしたら何といっても関東だろう。

06月28日 その7

安倍さんは次に憲法改正を目指すという意見もあるけれど、そんなことは無いだろうし、そうあってほしくはないと思う。有事法制が通れば憲法改正など必要がない。そんなややこしいことに挑戦するより、TPPとJAの改革をしっかりとやってほしいと思う。そこで経済的なプラスを出せば参議院選挙も堅いだろう。大きな改革には時間がかかる。それを急ぐと足下を掬われる可能性があると心配だ。

06月28日 その6

今日は暑いし風が強い。天気図を見るとしばらくは天気が良さそうだ。梅雨の中休みというやつか。風が少し強いが、『淀めば腐る』というから少しくらい風があった方が良いのだろう。入れ替われば腐ることはないかも知れないけれど、新しく来た空気が優しいものか厳しいものかという心配はある。人は誰でも臆病だから変わることを恐れる。そのくせ幸せだけは増えてほしいと思うのだから矛盾している。

06月28日 その5

玉子でも肉でも放し飼いにした鶏は美味いらしい。一日中放し飼いにした牛のミルクは一本1000円でも売れるらしい。世の中には食料工場なる取り組みをしている馬鹿もいるが、やっと農業も効率化よりも本当に大切なものを模索しだしたのだろうと思う。人間は土壌細菌についてほとんど知らない。それなのに生半可な知識で効率化を求めればとんでもなく不健康なものができるのが通りだ。元気な生き物の命をいただけば元気になるだろうし、何よりも美味しくいただくことができる。生き物に関しては知ったかぶりをしない方が良い。唯々尊敬し、感謝する。それが命をいただくもののあるべき姿だと思う。

06月28日 その4

日本にも色々なところがあって、そこでないと食べられない美味しいものがある。持論としては「地方なんてどうでもいい」だが、そういった美味しいものを残すという面では全ての地方に残ってもらいたい。昔、立山、剣あたりを登ったとき、帰りにロープーウエイの駅で食べたマス寿司がものすごく美味くて、我々は通路に座り込んで、手づかみでバクバクとそれを食べた。ところが、あまりに感動したので土産にも買って帰ったのだが、家に帰って食べてみると大して美味くもない。そのときに「美味いという感覚はシチュエーション次第なのだなー」とつくづく感じた。多分、他の美味しいものでもそんな部分があって、そこで食べるから美味いというものも多いだろう。そうなると美味しいものがそこに残ってもらわないと美味しさを味わえないということになる。「ガンバレ地方!」なんちゃって。

06月28日 その3

私は結構上手く仕事をする自信があり、頼まれればいくらでも力を貸す。それで前半は上手くいくのだが、後で聞くと結局失敗したりすることがほとんどだ。どうも私が余程鼻持ちならないらしくて、後半は私に全く相談なしにことを進めるのがその原因だ。「なんでだかなー」と思うのだが、これも私の不徳のいたすところで仕方が無いのだろう。残念に思うこともあったが、最近では『人間万事塞翁が馬』だろうと思っている。人間のごときが「こうすれば良いのに」と思うこと自体が傲慢なのだろう。

06月28日 その2

今日は女房殿は名古屋にランチに行く。こんな状況になると名古屋に出るのさえ難しい難しい私だが、不思議とそれほどには羨ましくない。元気な人はバンバンと外出をし、どんどんと美味いものを食べれば良い。しかし、寝たきりにも寝たきりなりの楽しみ方はあるのだ。外を眺めるという楽しみもあるし、テレビを見るという楽しみもあるし、女房殿が色々と買っておいてくれるからそれを食べるという楽しみもある。女房殿は今頃何を食べているのだろうと思う楽しみもあるし、元気になったら私ならラザニアを注文したいというかなわない妄想をする楽しみもある。

06月28日

ナデシコが勝った。今日は日曜日だから見ていた人も多いだろう。実は勝つのいうのは難しい。タイムを競うなら必ず勝てるということもあろうが、ボールを入れるというような競技はネットに当たったボ-ルがこちらにはねれば点にならず、あちらにはねれば点になったりするから悩ましい。相手の気持ちというようなものも重要で、本来は強い相手でもイライラしたり腐ったりすれば力が出ないだろうし、妙に調子に乗って実力以上の力を出すこともある。つまり、心理的に相手が嫌がるようなプレイが必要なわけで、それも難しいことだろう。でも日本人には対戦型が向いていると思う。身体では勝てない日本人でも心理的な面も影響すれば勝てるチャンスはある。

06月27日 その5

常々私は逃げることはよくないと言っているが、その典型がロボット戦士だ。弱っちい子供がロボットに乗ると強くなるというのは夢ではあるだろうが立派な逃げだ。強くなりたければトレーニングをして本当に強くなるのが本来で、ひ弱な子供がロボットに乗るといきなり強くなるというのは誠に卑怯な願望だ。何とかいう漫画もやたらに喧嘩をしているが、喧嘩をする限り人を殺すことは当然に覚悟しなくてはならないし、その覚悟なしに人を殴るべきでは無い。小学生のような女の子が胸や尻を出して活躍するのも問題だ。欧米ではそんな出版物は禁止されるだろうし、そんなものを持っていれば変態として蔑まれるだろう。『クールジャパン』などと調子づいているが、このクールはあまりに非常識な日本が肌寒いという意味のクールだろう。表現の自由という意見もあろうが、そんな物を書き、そんな物を読んでいる自分が恥ずかしくないという感覚が私には分からない。

06月27日 その4

日本の男性が格好悪いのは選ばなかったからだろう。嫁は親が決めるという制度があって、原則としてそれは拒めなかった。しかも、『よい子』である評価基準は『親に逆らわないこと』で生物的な完成度は無視された。そうであれば格好の悪い男性も生き残ってしまうことになる。つまり日本人はくだらない儒教の価値観で生物としてあるべき姿を無視してきたということになる。例えばアメリカ人はアメフトの選手のような筋骨隆々な男性を好むらしいが、それは生物として至極まっとうな選択である。

06月27日 その3

女性男性の好みというものがあって、それを長く続けるとそんな特徴の女性や男性が多くなるのだそうな。なんでもチンパンジーは老けた顔が好きらしく、その結果婆顔(どういう顔が婆なのか分からないが)を特徴とした雌が多くなったらしい。日本人は外国人から子供のように見られるが、それは日本人がガキっぽい女性を選んできたからだろう。従順で文句を言わないガキは儒教の教えにぴったりだ。まずそこから直さないと女性の自立なんかはあり得ない。

06月27日 その2

総合放送では女性のやせすぎが云々というどうでも良いような番組をやっている。私もぶよぶよのデブは嫌いだが吉田沙保里のような体型の女性は大好きだ。女はか弱くて慎み深いものだという儒教的な馬鹿な思い込みがあって、何故か女性は何の役にも立たないやせすぎ女を目指すようだがそれは間違いだ。そもそもそんな何の役にもたたない体型を保って当の本人は幸せなのだろうか。引きこもりの虚弱体質に簡単に殺されるような女性ではいけない。女性はみんな空手を習って反撃をするくらいの方が好ましい。残念ながら男がいて、その中には女性を襲う者もいる。ならば自分で防衛するのがまず第一だ。

06月27日

アメリカと支那の女子サッカーを見ている。他に番組が無いから何気なくかけている程度だが。今のところアメリカが優勢に見えるが今ひとつ元気が無いようにも見える。ワンバックとかいうエースが何故か出ていないが、男子のブラジルのように絶対的なエースのいるチームはエースに何かあるとガタガタになるということがある。アメリカもそんな感じなのか。まあこのチームはどちらが勝ってもドイツの足下にも及ばないだろうから日本には関係が無いが。

06月26日 その7

日本は支那や高麗に理不尽に虐められていじめられっ子状態だが、その責任は日本にもあると思う。相手の顔色をうかがって、あるときは阿りあるときは偉そうな態度を取る、これは典型的ないじめられっ子の態度だ。子分になるつもりなら徹底的に子分になるべきだし、凜として対峙するのならその態度を貫くべきだ。そうで無ければ相手は余計にイライラする。そもそも『日中親善』などというスローガン自体が虐めて欲しいと言っているようなものだ。日本が独立国として振る舞いたいのなら、賛同すべきは賛同し、突っぱねるべきは突っぱねないといけない。靖国神社に参りたければ参るべきだし、尖閣列島に行きたければ行くべきだ。そもそも中曽根が支那の誰かの立場をよくするために参拝を止めてやったのが今の始まりらしい。同情することは構わないし、国益を損なうもので無ければ手をさしのべてもいい。しかし、軽い気持ちで国益を損なうようなことをするのは傲慢であり、靖国神社で待っている英霊達に対する結果責任は万死に値する。

06月26日 その6

赤軍派が活躍していた頃、何故か支那というまっとうな呼び方が差別用語となり、中国などという噴飯物の呼び方をするようになった。どうも日本を『日本(ひのもと)』と呼んでやるのだから支那のことは『中国(世界の中心の国)』と呼べという誠に理不尽な主張に従ったらしい。馬鹿な赤軍派や支那人は知らないのだろうが、日本という呼び名は持統天皇の頃にできたものであり、唐もその呼び方を認めているのである。『日本』は伝統があるまっとうな呼び方であり、70年しか無い中華人民共和国の歴史とは重みが違う。そんなことも知らないで日本を否定して支那を持ち上げる赤軍派は何を考えているのか。あと少し、菅直人のような赤軍派崩れが全てお亡くなりになる日が待ち遠しくて仕方が無い。

06月26日 その5

どこの国も大抵は色々な歴史があって複数の民族が混在している。ところが日本はそのような複雑な歴史が無い。先住民族としてアイヌがあるがこれは一つの国と言うよりは先住民族といった方が正確だ。オーストラリアのアボリジニのようなものだ。アメリカのインディアンのいじめ方もひどかったようだが、先住民族から国を奪ったどこの国もそんな理不尽な歴史を抱えている。『万系一世』などという馬鹿なスローガンを掲げた日本のアイヌいじめもひどかったようだ。無理を通せば通りが引っ込むと言うが、本当は道理は引っ込まない。そこに悲しい現実が生まれるだけである。我々が日本を愛する心も陛下をありがたく思う気持ちも万系一世などとは関係が無い。無理な小細工などすれば不信を招くだけだ。

06月26日 その4

イギリス人に「おまえはイギリス人か」と聞くと「そんな国は無い。俺はイングランド人だ」と答えるそうだ。イタリアのどこかでも「一番嫌いなところは」と聞くと隣町をあげるそうだ。少し前にスコットランドの独立が話題になったが、もし住んでいるところを愛するとすれば歴史や文化に裏打ちされた郷土愛なのだろう。例えばスコットランドにはタータンチェックのキルト、バグパイプ、スコッチウイスキーがあるが、これを大阪に当てはめると、ヒョウ柄の服、串カツとたこ焼きということになる。大阪の悪口を言うわけではないが、例えば大阪が独立するにはちょっと特徴が弱いような気がする。

06月26日 その3

光には圧力があるらしい。宇宙ヨットというものも開発されていて、大きな帆で光を受けるとその反対方向に進むということだ。光の反対方向は闇だ。そうすると光は光を求める人を闇に追い落とすということになる。ライオンの子供じゃあるまいにと思うのだが、どうもそういう厳しさが光にはあるらしい。でも何故か闇にたたずんでいるのは悪いことだと感じて辛い光を求める、そんな人間も不思議なものだ。

06月26日 その2

今日は久々の雨だ。何故か日が出ていないだけでホッとする。雨が続けば晴れが恋しく、晴れが続けば雨が恋しい。人間は我が儘な生き物だ。草木は日差しが無くては生きていけない。その頃の記憶が人間にも残っているのかも知れない。光は影を作り、影にはホッとさせる力がある。光が無いと存在できない影だが、それが光に疲れた人のシェルターになるのだから大したもんだ。

06月26日

今日はよく寝られた感がある。くだらない夢を見ることも無かった。いつも寝ているような私だが不思議と夜グッスリと寝るとスッキリとする。こんな生活をしていても体内時計は健在らしい。そもそも人は日の出に起きて日没に寝るようにできているらしい。それが太陽の動きを無視した『時刻』というやつに縛られるようになって身体の機能も狂ったという部分があるのでは無いか。田舎で暮らしたいという思いにはそんな生物としての人間を取り戻したいという理由もあるのでは無いかと思う。なかなか原始的な生活を送るのは難しいけれど、原始的な心を持った生活というのはできる。そして、それだけでもストレスは少なくなるような気がする。

06月25日 その16

駅まで女房殿を迎えに行って外を眺めていると、駅にはツバメの巣があって、そこに可愛らしい雛が4羽いた。親も大変で、一分に一度くらいは餌をもってくるが、あれではゆっくりと休んでいる暇は無いだろう。鳥は全般にかわいいが、最近ツバメが少なくなったように感じて寂しい。その昔はそこらをキジが歩いていたし、庭にもウグイスがよく来ていた。しかし最近ではそれらをあまり見ない。モズは甲高い声で泣いているし、目白は今でもやってくるが、藪は無くなる一方だから鳥たちも住みにくいだろう。

06月25日 その15

常々思うが、地域のコミュニケーションはあってほしいと思う。暇だから将棋を打ちたいと思っても、家に来てくれる人はいないし、私の状況でよその家にお邪魔することは容易ではない。昔は縁台を外に出してステテコのおっさんが将棋を指していたが、今はそのような光景を見ることは無い。おばさんが道で会えば長い立ち話をすることはあっても、縁側に座ってお茶を飲みながらしゃべるというようなことも無い。プライバシーが守られるといえばそうかも知れないが、なんだか寂しい街になったものだと思う。

06月25日 その14

欲を言えば切りが無いが、今、日本に暮らしていてものすごく不幸だという人は少ないと思う。無駄な道路を作ったし、無駄な箱物も作ったし、河川や湾岸をコンクリート詰めにしたし、多額の借金を抱えたし、9条を残したまま自衛隊をもってしまったが、それでも戦後の日本は概ね上手く舵取りされて来たのだろうと思う。菅直人のような赤軍派はそれでも文句を言うのだろうが、結果としてそれほどに不幸で無ければ良しとすべきではないか。アメリカに翻弄されたという部分は多いかも知れないが、輸出を支えてくれたのはアメリカだし、ここまで育ててくれたのもまたアメリカだ。アメリカもやや乱暴な部分はあるが、日本人が有色人種であっても、多くの日本人とアメリカ人は互いを嫌いでは無いだろうと思う。

06月25日 その13

西尾某という今は立派な建機のレンタル会社は、元々は印刷屋だったという。コンピュータの普及により印刷の仕事が減ったとき、従業員に給料を払うために社長は夜に線路の補修のアルバイトをしていた。そんなかで建機のレンタルに需要があると気づき、その会社を興して利益を上げられるようになったという。ここに逆境を跳ね返すヒントがあるが、その一つは従業員を大切にするという経営者の姿勢だ。人は大切にされればそれに答える。それは利益を生むだろうし、事業が上手くいけば従業員も誇りが持てるし、多分とても良い会社ができあがる。

儲かる事業には虚を突くようなビジネスモデルは大切だが、人の不幸を前提にした事業は永続しないだろうと思う。良い例がブックオフだ。小中学生に万引きをさせ、本屋を廃業に追い込み、買い取った盗品を安く売って儲けるというビジネスは、潰れる本屋がある内は成り立つかも知れないが、それが無くなれば仕入れることができなくなって商売が成り立たない。元々悲しい商売だが、永続することができない宿命を負ったビジネスモデルでもある。

06月25日 その12

日本の企業は生産性が低いというが、その原因の一つには役職を慮りすぎるというところにある。本人は部長とか課長とか呼ばれてご満悦だが、そこに面従腹背が生まれる。また降格がしにくいという欠点も生まれる。その結果、会社にはゴマすりと仕事のできない管理職が溢れ、当然に仕事の能率は下がる。さらに良くないのはその負債を給料を下げて乗り切ろうとする知恵のない経営者とその耳で経費節減を囁く悪魔のコンサルタントだ。結果、会社は負のスパイラルに陥り、仕事ができる従業員は辞めていき、残った従業員はやる気をなくし、少なくなった給料を残業で稼ごうとして無駄な残業がはびこる。全く悲しいことにこんな不毛な消耗戦を繰り広げている企業は多い。

06月25日 その11

今日は食べるものが無いのでラーメンを食べた。食べる物が無いときにラーメンはありがたい。私はそもそも麺が嫌いだから高級なラーメンは嫌いだ。いかにも昔のラーメンがいい。勿論一個は食べられないから半分をいただくが、そんなときに高級な液体のスープでは取っておきにくい。その点昔の粉のスープは半分だけいただくことができて都合が良い。

昨日はもんじゃをいただいたが、女房殿も私も食べた後はぐっすりと眠れた。要らんことをしゃべったからか、チーズを入れたからかは分からないが、なかなか美味しかった。

06月25日 その10

国立競技場がどうのという話題があるが、私は少しくらい高くても斬新なものを作れば良いと思う。歴史的な祭典の会場だ。日本は開発途上国ではない。バーンと会場を作れなくてどうするんだと思う。設計が悪いとか、納期が間に合わないとかの意見があるが、そんなものは乗り越えてなんぼだ。ただ一つだけ絶対に必要なことがある。それは文科相を計画から外すことだと思う。餅は餅屋というが、絵描きに家を建てることはできない。

06月25日 その9

私はそう長くないがどうでも良いが、それでもトヨタが潰れるとすれば日本人として残念に思う。でも技術力のない企業に明日はない。トヨタはいったい何がしたいのか。それが問題だ。ホンダはF1に参戦するようだが勝てる見込みは大きい。ホンダはエンジン開発力が高く、フェラーリと戦うことができる多分唯一のメーカーだ。原発事故で何の役にも立たず『無用の長物』と言われた悲しいアシモだが、その画像処理技術は今後流行りそうな自動運転に応用できるだろう。小さいとはいえジェットエンジンの開発に成功したのも大きい。それに引き替えてトヨタはどうか。世界に誇れる技術は何もないし、ワクワクする車を作るセンスもない。そもそも何がしたいのか分からない。

06月25日 その8

金閣寺は本当に美しい。金色の壁も勿論美しいが、それよりも兎に角バランスがいい。屋根の反りも、壁と柱のバランスも、全体のバランスも、池と建物のバランスも、それら全てが美しい。色々な寺に行ったけれどあれほどに美しい建物はない。地方なんか潰れれば良いと言ったが、金閣寺なんかはそのまま残しておいて欲しい。もしこのベットが飛べるなら、たまには金閣寺の横で金閣寺を眺めながら過ごしたい。金閣寺は本当に素晴らしいが、それも周りの池や森とセットでの景観だろう。例えばリトルワールドに金閣寺を移築したら随分とつまらない建物になってしまうだろうと思う。そういう意味では地方に存在意義がある。私が言いたいのはそれと開発を結びつけないでほしいということだ。

06月25日 その7

何が幸せなのか。私は死ぬことだと思うが、人それぞれ違うのだろう。では不幸とは何か。それは幸せを失うことだろう。それは地位や名声か、家や財産か、子供や家族か、常人には理解できないような収集物かもしれない。他人に理解されなくても誤解の中に暮らすのは真綿でくるまれたように気持ちが良いものだ。脳が発達して最大のうれしいところは現実逃避が容易になったことかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのか分からないけれど、ストイックに生きることの方が素晴らしいという理由も見当たらない。

06月25日 その6

地方の発展を願っているのは実は地主だけだ。我が家もまだ借金を払っているが、ほとんどただで手に入れた土地が何億にもなるのだから笑いが止まらない。百姓のふりをし、助成金をあてにして日々を過ごし、いつかあるだろう大金持ちになる日を夢見ている。しかし、その発展とは農地や山林が宅地になって大もうけできるという意味で、我々が考える住民が幸せになるような発展などではない。金儲けのために土砂崩れが起こるような開発をして、そこに夢を持った人がえらい目に遭っても知らぬ顔だ。そんな地主の夢を叶えることがそんなに重要なのか。私には分からない。

06月25日 その5

「故郷を残したい」という意向があるが、そんなに残したければ勝手に住めば良い。自給自足をするのなら誰も文句は言わないだろう。それだけのことだ。企業を誘致したいという人がいるが、そうまでして、自然を壊して、生活習慣を変えて、無理をしてそこに住んで何が嬉しいのか。企業のごときは経済的理由によりいつか勝手に出て行ってしまう。そうしたらまた頭を下げて、税金をまけるという優遇措置をつけて、いつ出て行くか分からない企業を呼ぶのか。そんな繰り返しが情けなくないのか。そんな生き方に誇りを持てるのか。そんな地域でも故郷として大切なのか。私には故郷に固執する意味が分からない。

06月25日 その4

私は東京一極集中に大賛成で、地方創生には大反対である。人間のごとき害虫は存在しないことが自然には一番いい。地方に誰も住まなくなればそれだけで自然は回復するが、人間の浅知恵で自然に影響を与えて良いことは何もない。一方で人は集めた方が公共サービスの効率が良い。ならば東京に集めてしまうのが得策だ。公共投資にしても全国をいじくるのは大変だが、東京に集中すれば効率よく必要なインフラ整備を行うことができる。地方に残すのは漁業だけで良い。

06月25日 その3

TPPの交渉権限を強化する法案が通り、1年半の内にTPPは合意しそうだ。TPPのような妥協の産物はどう結んだにしろ批判を浴びる。大統領がいきなりそんな非難を浴びては鬱陶しいから、共和党も民主党も締結を長引かせたくはない。どうせクルクルパーと表されているオバマさんに責任をなすりつけるのが一番理にかなっている。このチャンスを逆手にとって日本としてはなるべく有利に交渉を進めることが好ましい。

06月25日 その2

寝過ぎたせいか変な夢を見た。どこかへ行くのに見ず知らずのおばさんに助けてもらい、帰りにはそのおばさんと石屋の川上屋に助けてもらった。帰りは薄気味の悪い人形が立ち並ぶ不思議な寺の境内を通ったのだけは良く覚えている。いつも飲んだくれて寝ていた頃は夢など見たことがなく、実に何十年かぶりの夢だ。何しろ死にかけだからあの世が見えてもおかしくは無いが、そこに知り合いや家族が全く出てこないのだからいかに嫌われているのかが分かる。

06月25日

核拡散防止条約が物別れに終わったようだが、私には何で核兵器のみを目の敵にするのか分からない。兵器は何であれ悲惨な結果を招くだろうし、今の人の心の有りようでは戦争やテロを防止することはできない。銃弾や爆弾は良くて核兵器はいけないのは何故か、私にはその意味が分からない。核兵器によるテロを心配するむきもあろうが、支那のようないい加減な国が核兵器を持っているのだから、それを使ったテロもいつかは起きるだろう。しかし、仮にNPTが核兵器の保持を全面的に禁止したとして、例えばISがそんな決まりを守ることを期待する方がどうかしている。核兵器を持っている国は他国が核兵器を持たないようにと願うのだろうが、それこそとんでもない我が儘だ。

06月24日 その14

考えてみるとサッカーというのは誠に過酷なスポーツだ。45分を2回、ウロチョロするだけでも大変だが、その間集中力を保たなくてはならないのはさらに大変だ。多分、油断したら点を入れられるのだろうし、相手の油断をめざとく見定めて攻撃すれば点が入るのだろう。そんなことが必ずできれば強いのだろうが、実際には油断も起こるだろうし、相手の油断を見逃すこともある。そしてそんなことがあると『下手くそ』と非難されたりもする。見ている方は勝手なことを言っていればいいが、やっている選手はさぞかし大変だろう。

06月24日 その13

三船敏郎がハリウッドの殿堂入りになったらしい。もう一つパッとしない邦画にとっては大変に名誉な話だと思う。彼は顔が良いし、格好が良いから日本人が選ばれるとすればふさわしい。彼は黒澤明に見いだされたらしいが、それが彼にとっては幸いだったろう。欧米の監督も一目置く黒澤明の映画を見れば彼が出てくるのだからいやでも印象に残る。しかもそこで良い演技をするのだから評価は上がる。何でも歩道の敷石に星形のマークと共に名前が刻まれるようで、石でできているから消えることはない。それがどのくらい名誉なことか映画音痴の私にはよく分からないが、兎も角も名誉であることに違いはないだろう。

06月24日 その12

自然というものは人間が近付かないのが一番幸せである。もし美しい自然が見たいのなら、なるべく遠くからひっそりと見るべきであるし、ゴミを捨てるなどはもっての他だ。多くの日本人が富士山を汚すなら、日本人には自然を愛でる資格がないということになる。棚田が美しいという馬鹿がいるが、私にはあんなものは虫が食い散らかした葉っぱにしか見えない。土地は余っている(減反をしているし、耕作放棄地がある)のに何でわざわざ美しい自然を破壊して田圃を作る必要があるのか。まさに悪魔の所行だ。

06月24日 その11

ドイツとしては表向きは水素エネルギー社会を標榜しているし、とりあえず表向きは電池自動車を普及したいらしい。しかし、全く売れないという。ドイツ人にしてみればまず値段が高い車は話の外だ。そして、一般的に永く乗るので、数年で電池が馬鹿になるとすればそんなものも話の外だ。それでもエコのためにそんな車を選ぶのは馬鹿な日本人くらいのもので、ドイツ人なら地下鉄、路面電車、自転車を選ぶ。当然にその方が圧倒的にエコだ。そもそも車がないとコンビニにも行けないようなところに人が住んではいない。日本でも本当にエコを進めたければみんな東京に住めば良い。地方に人が住むだけで公共サービスの効率はものすごく悪くなる。

06月24日 その10

パリが東京の次のオリンピックに名乗りを上げるという。欧州に他に余裕のある国はない(ドイツはそんな儲からないことはしないと思う)し、紛争などでがたがたしている国(ロシアなど)もいけないし、オーストラリアがまたやる理由もない。それでブラジル(アメリカ大陸)、東京(アジア)とくれば次はパリでも不思議はない。三回目らしいが、100年ぶりくらいらしいから構わないだろう。そもそも他に手を挙げる国があるのか。多分ないと思う。

06月24日 その9

今年のナデシコは弱いと思っていたが、案外強いのかも知れないと見直した。勝てるチームと負けないチームとがあって、勝てるチームは格好がいいが、例えばエースの不調のように一つリズムが狂うと案外弱かったりする。エースストライカーが怪我ででられないと無茶苦茶弱かった男子ブラジルのようなものだ。ところが、理由はよく分からないが、『負けないチーム』というのも確かにあって、多分、そんなチームは今のナデシコのように相手が強かろうが弱かろうがなぜかギリギリで勝つ(負けない)。ヒヤヒヤして安心して見てはいられないが、ゲームとしては面白いし、何より対戦相手はものすごくいやだろうと思う。

06月24日 その8

ナデシコが勝った。それはよかったけれど、2−0で勝つと思っていたら「アレッ」というような1点を取られてしまった。こんなものだとは思うのだけれど、真空地帯のような、時が止まったような瞬間に点が入るようだ。どんなに攻めていても、どんなに守っていても、点はアレッと思う瞬間、スローモーションのような時間に入ってしまう。不思議なスポーツだ。恐るべしサッカー。

06月24日 その7

一対0で折り返した。これは最も良いパターンだと思う。2点取ると守りに入ってしまうかも知れない。守りに入ったら負けだ。1点なら何が起こるか分からないから攻めを続ける。攻撃は最大の防御だ。日本の一点目もすんなり入ったのではない。バーから跳ね返った玉を入れたものだ。だから何しろ相手のゴールの近くでウロチョロしていれば点が入る可能性があるし、点を入れられる危険は少ない。サッカーでは2点などは数秒で入る。だから攻めているべきだろうと末期癌患者は思う。

06月24日 その6

まもなくナデシコのキックオフだ。素人目には前回よりもチョコッと弱そうな気がするが、まだまだこの辺は勝てるだろう。かっこつけても全く弱っちい男子は全く見る気がしないが、下向きに頑張るナデシコは見るに値する。特にお気に入りは鮫島だ。彼女は何故かどこにでもいる。相手のゴール前にも、自分のゴール前にも。余程沢山走るのだろうし、勝負の感(いるべき場所を見つける力)のようなものも持っているのだろう。何しろ体格で劣る日本人だから、より沢山動くか、より効率的に動くかしかないと思う。前回のチャンピョンだとは言っても横綱相撲が取れるほどにはダントツではない。相手が怒って帰り支度を始めるほどにしつこく、イヤラシく戦うしかない。ガンバレナデシコ。

06月24日 その5

ポン菓子が復権してもいい。チーズ味のポン菓子を作り、それに7対3の割合でベビースターラーメンを混ぜる。名付けて『ベビースターチーズポン』だ。ポップコーンに匹敵するジャパニーズフードになると思うがどうだろうか。欠点は食べにくいことだ。だからといって固めて食べやすくしてはいけない。あまりに親切な商品は返って鬱陶しがられる。食べ方を押しつけているからだ。ポイントは袋の口を45度に切って、そこに20mmの開口部ができるように切り口の案内を設けることだ。その口から袋を傾けて掌に菓子を山盛りにして口に放り込む。そしてビールをグイッとやるというのがオフィシャルな食べ方だ。下品だと言うなかれ。気分は色々だ。松江の菓子をいただきながら抹茶をたしなんだ先生が、風呂に入って、扇風機の前に座り、腰巻き一つでベビースターチーズポンをかじりながらビールを飲んでも良いではないか。

06月24日 その4

何にでもイメージというものがあって、私のシカゴのイメージはアルカポネだ。彼はちっちゃくてどちらにも開くドアが自慢のバーのカウンターに座って、密輸したキューバの葉巻をかじり、これまた密輸したバーボンなんかを飲んでいる。時は禁酒時代だからみんなは牛乳を飲んでいる。違法だからといって「君、酒は御法度だよ」なんて忠告しようものなら、言い終わらないうちに蜂の巣状態にされてしまう。そんなカウンターにポップコーンが置いてあっても不思議と違和感がない。・・・ような気がする。

06月24日 その3

並んで買うやつもこれも不思議とカラメル味とチーズ味だ。基本的に菓子だからカラメル味は分かるがチーズ味を発見したところが凄い。しかもその二つの味が混ざっているところがミソだ。私などはチーズ味が好きだから別に売っていたらチーズ味だけを買うかも知れない。そして、チーズ味だけだったら飽きるかも知れない。しかし、このタイプは混ざっているから両方買うし、器にあければ両方出てくるから両方食べる。『柿ピー』が混ぜているようにこれも意図的に混ぜてあるのならその部分も凄い。ちなみに柿ピーにはあられとピーナツの混合比率に『黄金比率』というものがあるらしく、自動的に小袋に分ける機械はそれを守りつつ高速で分け入れることができるという。そのこだわりがアメリカ人にもあるのだろうか。

06月24日 その2

女房殿が『北野エース』でシカゴ産のポップコーンを買ってきた。名古屋には並んで買うようなポップコーンもあるが、食べてみると、それに匹敵するほどに美味しいポップコーンだった。日本では美味しいポン菓子という物はできないままポン菓子は寂れてしまったが、ポップコーンに関してはさすがにアメリカだ。チキンのカーネルサンダースは有名だが、これも上手に味付けをした先人がいたのだろう。美味しい菓子となれば売れるし、売れれば工夫をする人が増えてより美味しい物ができる。どんな商品でも『名も無い天才』が活躍しているのだろうが、何の努力もしていない私がその成果を味わうことができるということは本当にありがたい。

06月24日

今は3時。ほぼ寝たきりの私だから早起きに何の意味も無いが、どんな時間でも、少なくとも夜の内に一回は起きないと大変なことになる。今の私は小便もうんこも袋にたまるがいっぱいになる前にそれを捨てないと大変なことになると想像できる。そうなったことはまだ無いが、いっぱいを通り越したら当然に袋ははぜるだろう。そんなことになれば地獄だ。夜は内臓の活動具合か小便が良くたまる。だから少なくとも一回は起きないといけない。難儀なことだがしょうが無い現実だ。

06月23日 その10

『美女と男子』を見て、芸能界や週刊誌の記事とはあんなもんかと感動した。面白いもんだ。良い人が人気が出るとは限らない。悪いやつだからと言って同情されないとも限らない。良い物が売れず、変な物がヒットするから売れる商品を作るのは難しいが、その商品が人間だとすれば話はさらにややこしい。そう思うと芸能人が売れているということは奇跡だ。思いっきり我が儘にやっているように見えるたけしもあれは演技なのかも知れない。よく分からない世界だ。

06月23日 その9

テレビで美空ひばりの歌謡ショーをやっていた。祖母が大好きだったが、私は西洋の曲のみが素晴らしいと思っていたし、その後はフォークソング以外には全く興味が無かった。うちは貧乏だったからステレオ装置もなかったし、そもそもあまり歌を好んで聞いたということもなかった。そんな私だが、会社の先輩の家で蓄音機で聞いた美空ひばりの歌には鳥肌が立った。後にも先にも音楽で鳥肌が立ったのはその一回きりだ。そのときはビックリしただけだったが、長島温泉には一度は行っておけば良かったと今では悔やんでいる。給料を全部飲んでいた私だから、せめて一回くらい祖母を連れて長島温泉に行けば良かったと思っている。

06月23日 その8

武器輸出三原則が反故になったのはめでたい。これで自衛隊が使う武器の値段は安くなるし、F35のような戦闘機の共同開発にも参加できる。早速インドから飛行艇、オーストラリアから潜水艦の引き合いがあるらしい。それぞれ日本が世界一の技術を誇るものだから各国も目が高い。10式戦車などは世界で唯一のウインカーをオプションにできるらしいがそんなジョークは通じないらしい。

06月23日 その7

映画の『紅の豚』にイタリアのピッコロ社という飛行機メーカーが登場するが、本当にイタリアは飛行機作りの歴史があるらしい。敗戦国だからか今はその影もないが、ヘリコプターなんかは今でも強い。ロケットは素晴らしい技術で、日本は純国産機の開発に成功した。ならば次はジェットエンジンだろうと思う。必要な大型の難削材の精密切削技術は残念ながら今の日本にはないが、金さえあればそんなものの開発はへでもない。景気対策と近い将来の輸出商品としてはジェットエンジンが有望だと思うが如何か。

06月23日 その6

殺し合いが当たり前の野生だが、彼らには無駄な殺し合いをしないという節度がある。例え相手が鼠でも殺し合いをする限り命がけで出ていく。全力で相手を追うという状態はそれ自体が身体にとっては生きるか死ぬかの過酷な状態だ。そのまま死ぬこともあるだろうし、そこまで行かなくても命を縮めるだろう。だから野生動物は無駄な殺しをしない。それは当たり前のことだ。

06月23日 その5

もう一つ。目的がない戦争は必ず負ける。あのアメリカでさえベトナムや朝鮮半島で負けているが、それは目的が無かったからである。例えばベトナムはベトナムを共産主義にしないための戦争のようにいわれているが、そんなものは戦争の理由にならない。ベトナムが何主義だろうとそんなことを外国にとやかく言われるのは大きなお世話だからだ。しかも、少ないにしろホーチミンに反対するベトナム人がいるのならまだしも、それなしにフランスが勝手に作った傀儡政権が南ベトナムだ。本来フランスにしろアメリカにしろあんな遠い国が何主義でも良いはずだ。そこの住民が悪政に苦しんでいるのならまだしもそんなことも無い。だからあれは戦争ではなくただの殺し合いだという事になる。

06月23日 その4

この時期になるとテレビでは戦争が云々という話題が多くなるが、日本人の多くはかなり誤解をしている。例えば沖縄戦はあれは戦争では無い。あれはただの人殺しだ。だから沖縄戦を表するとすれば「人殺しは悲惨だから止めよう」という至極あたりまえの表現になる。本来戦争には目的がある。だから勝敗がつくし、終戦という出口がある。仮に支那から手を引けというのが理由なら、戦場は支那になり、支那の日本軍が全て降参すればそれで終戦となる。ところが目的が殺し合いだから、全員を殺すという以外にどうなれば戦争が終わるという事が無かったし、お互いに殺しをエスカレートする以外にはどうしようもなかった。戦争をただの殺し合いにしてしまったのは日本軍だ。その発端はキチガイの山本五十六による真珠湾攻撃にある。真珠湾と支那は何の関係もない。従って真珠湾攻撃には人殺し以外には何の意味も無い。それ以来あの戦いはただの殺し合いになってしまった。

06月23日 その3

カナダといえばボンバルディアという世界第三位の飛行機メーカーがある。飛行機といえば機械好きにはロマンだ。日本でももうじきMRJが飛ぶがエンジンを作っていないのでつまらない。羽根や機内用トイレを作っていても787を誇らしくは感じないが、RRのロゴがあるタービンがゆっくりと回転するとゾクゾクする。大物の精密切削加工は加工の大様だが日本ではできないという事は無い。こんな時期だから国が金を出して是非とも開発を進めてほしいと思う。一応ホンダが小さなエンジンを作っているが、先進国で大型のジェットエンジンが作れないのは日本だけだ。

06月23日 その2

私には子供がいないからそれ以前の問題だが、もし子供があればその子には外国人と結婚して外国に住んでほしいと思っている。ただし、外国とは行ってもアジアは止めて欲しい。カナダかイングランドならばそれこそいうことは無いが、ヨーロッパかアメリカならばどこでも良い。儒教の思想が悪いのかイスラムの思想が悪いのか、アジアの国々は少しおかしいと思う。もし人が人として正直に生きることが幸せならば、それが当たり前である国の方が生きていて楽しいのだろうと思う。

06月23日

行ってみたいけれど行けなかった。多分これからも行けないだろうと思うところはヨセミテだ。岩登りの聖地として名高いが、素晴らしい大自然がある国立公園としても名高い。大自然ならば、多分、南米あたりに行けば見られるのだろうが、それらは人を寄せ付けない自然だと思う。それも良いけれども、人が遊べる、人と共にあってもなお美しく存在する自然であるという点でヨセミテは特異だと思う。カナダという国も魅力的だ。どうしても外国に住まなくてはならないとしたら、ヨーロッパでもアメリカでもなくカナダに住みたいと思う。

06月22日 その9

イメージというものがある。イギリスはカトリックが多そうだからパンとワインだけで満足するのかも知れない。ストーブ兼オーブンのようなものからアップルパイなんかも出てきそうだ。スイス人はライ麦パンに溶かしたチーズをのせていただく。なにしろアルプスの少女ハイジが食べていたのだから間違いない。フランス人は毎朝焼きたてのフランスパンを買いに行くらしい。バターをのせても、チーズをのせても、ジャムをのせても美味しそうだし、少し堅くなればフレンチトーストにしても美味そうだ。イタリア人とドイツ人の朝飯は思いつかない。なかなかメニューにないので食べられなくて残念だがイタリアではラザニアが美味しい。久しぶりにラザニアを食べてみたいものだ。

06月22日 その8

嘘をつくことは好ましくはないが、嘘をつかれることも好ましいことではない。この世は嘘に充ち満ちている。だから嘘に引っかかることもやむを得ないが、嘘に引っかかって身を持ち崩すのではこれは情けない。だから嘘を心配して用心深くなるのも仕方が無いが、大きな勝負は一歩を踏み出す勇気が必要であることもまた真実だ。白い犬の社長が携帯メーカーの買収に逡巡していたとき、「買収が失敗するリスクよりも買収できなかったリスクの方が大きいと」社外取締役をしていた柳井さんが犬の背中を押したという。結果はどうか。白い犬は今では立派な携帯企業だ。IT企業とはいっても世の中に必要が無いゲーム会社のごときでは危なっかしい。しかし白い犬のような事業ならばこれは盤石だ。

06月22日 その7

本能寺の変の云々という本を読んだが、まあそんなもんだろうと思う。『信長の棺』も同じような結論で、黒幕は家康だ。家康は自分なら秀吉に負けないし、結構強固な信長の影響力を秀吉にグチャグチャにしてもらえば天下が取れる(猿のごときはどうにでもなる)と踏んでいたのだろう。一人の武将に一旦天下を取らせ、しかし、その武将の死後にはその天下をペロッとかすめ取るという遠大な計画だが、天下を取るというのはそれほどに厄介なことなのだろう。煽りを食ったのは明智光秀であり石田三成だが、まあ、まじめに正攻法で働いても報われないことが多いのは事実だ。

06月22日 その6

テレビが唯一のお友達の私はドラマが見たいが、愛だの恋だの離婚だの、特に夫婦や青春ものが嫌いな私は見るドラマがあまりないのが悩みだ。最近では『美女と男子』が思いの外面白くて毎週楽しみにしている。仲間由紀恵も良いけれど、最近の若手俳優は生物としての完成度が高いのが特徴だと思う。生物としてできの良くない私なんかにすれば羨ましい限りだが、同じ日本人として何故だろうかという疑問は残る。昔は背が低く、短足で、がりまたで、尻がでかく、頭が大きく、顔がのっぺりし、豚鼻で、眉が細く、てっぺんハゲで、猫っ毛で、猫背であるのが当たり前だったように思うが、今の若い俳優はとても美しくできている。女性は吉永小百合が最高で、それ以来は美人の芸能人は発生していないのに男性ばかりがどんどんと完成度が高まっているのは何故か。身体の造作は遺伝子で決まると思うが、何か分からない力でその遺伝子は変化するのだろうか。羨ましいことだが日本人としては悪いことではない。

06月22日 その5

国会会期の大幅な延長が決まったようだ。これで有事法制は通るだろうからめでたしめでたしだが、その後は問題だ。凡人は大きな仕事が終わると『燃え尽き症候群』のような状態になって気力が減退する。川の中に立てば足に流れが当たるが頑張って踏ん張っていれば耐えられるかも知れない。しかし、次の一歩の足を出そうとするとその瞬間にスッと足を掬われることがある。気の緩みとまではいかないとしても、次の一歩は用心深く出すのが安全の基本だ。

06月22日 その4

その昔『イイクニツクロウ鎌倉幕府』なんて語呂合わせで年号を覚えたものだが、最近の社会の授業ではその年号が変わったらしい。そもそも歴史なんてそんなもので、話に尾ひれが付いて偉人が生まれる。聖徳太子は実在ではないという説もあるし、御大師様の偉業は、例え御大師様が超能力者であっても、一人の人間がやったにしては多すぎるという説もある。円空仏などは話にならない(本当なら何秒に一個というペースで作らなくては勘定が合わないらしい)ほどに多い。昔、邪馬台国は日向(宮崎)にあったという説の本を読んで、私は本当にそうかも知れないと納得した。諸説ある話の一説をそれらしくドラマにして放送してはいけないというような縛りがNHKにはあるのかも知れないが、そんなことを言ったら歴史は全く面白くない。将来安倍さんがドラマになったら、私が脚本家なら、安易な優しさに流れる己の弱さがどのように生まれ、何故その呪縛から逃れられなかったのかに焦点を当てたドラマを作りたい。

06月22日 その3

歴史物のドラマがつまらないのは結果が分かっているからだ。つまりは犯人の分かった推理小説を読むようなものだ。それではあまりにつまらないから、脚本家は歴史に全く影響を及ぼさない主人公の色恋沙汰でドラマを盛り上げようとする。しかし、歴史のうねりやその必然性に興味を持ってみている者は久坂玄瑞と飲み屋の姉ちゃんの不倫話などに何の興味も無い。そんな末節に逃げなければならない程度の知識なら歴史物に手をださん方が良い。

06月22日 その2

安倍さんが何やら高麗に譲歩したらしい。これで安倍さんの総理人生は終わった。人に優しくすることは気持ちが良い。だから人は、責任がなければ、本当の愛情をかなぐり捨ててついつい安易な優しさに走ってしまう。例えば親の愛と祖父母の愛の違いだ。子供への責任を放棄すれば誰だってかわいがりたい。涙をこらえて厳しい顔などしたくは無い。でもそれをしなくてはならないのが親であり総理大臣だ。幸い親と違って総理大臣はやめられるから、自分を律することができないのなら辞めた方が国のためだ。大きな責任を全うしようとすれば嫌われる覚悟も必要だ。

06月22日

今は1時。小便もう○こもほぼいっぱいだからトイレで捨ててきた。今は小便がしたいとかう○こがしたいという情報は出無いから、その信号に頼らずにいっぱいになる前にトイレに捨てに行かなくてはならない。つまりこんな身体では長時間ぐっすりと寝る習慣はかえって危ないのだ。幸いにして私はほぼ寝たきりだから一定時間ぐっすりと寝て昼間の十分な行動時間を確保するという必要は無い。後はふと起きられるという勘が頼りである。今のところ大きな破綻は招いていないが、これを習慣化しないといつか破綻を招くと心配している。

06月21日 その10

ちょうど食事前に頼んでおいた唐津のハムが届いたので、もんじゃ焼きはまたにしてハムをいただいた。今日食べたのはソーセージだが、さすがに肉の味がしっかりしている。「本物は違うなー」なんてご満悦だ。明日はもう少し、ハムとベーコンもいただく予定だ。本来ハムやベーコンは保存食なのだと思う。それが多くの安物の日本製品は亜硝酸ナトリウムという殺菌剤を入れて細菌を殺している。細菌を殺すのは結構なことだが、その毒薬はそのまま残って我々が食べることになる。メーカーは「微量だから健康に害は無い」と言うのだろうが、私は何か違うような気がする。ハムやベーコンはそんな毒薬が無い時代の保存食だから毒薬を使わない殺菌方法を採用したはずだ。例えばこのハムは燻製にして菌の増殖を防いでいる。鰹節と同じやり方だ。今は日本の包丁や鋸などが海外でも引っ張りだこだが、これらに共通するのは一切の『楽な作り方』を排除し、愚直に伝統的な製法を踏襲している点だ。賢いということは必ずしも良いことでは無い。へたをすると大切なものを見失うことになる。

06月21日 その9

『どぜう』も東京固有の食べ物だ。昔東京で食べたことがあるが決して美味くは無い。骨っぽくて他に無ければしょうが無いというような食べ物だった。似たような魚にナマズがあるが、ナマズの蒲焼きはウナギ以上に美味いと私は思う。タンパク質を補うために手近な魚を食うとすれば、どうひいき目に見てもナマズに軍配が上がる。すき焼きも東京生まれみたいだが、よくもまああれだけ肉を不味く料理したものだと思う。山のように砂糖を入れれば素材の味などは楽しみようが無い。同じ肉を食うにしても信州の馬刺しとは繊細さに雲泥の差がある。

どぜうとすき焼きの共通点は目の前で煮て食べるという点にある。料理人が料理を放棄したと言えなくも無いが、もしあのような食べ方が東京生まれなら、これはコミュニケーションツールとして素晴らしい発明だと思う。まず煮えるには時間がかかるからその待つ時間に会話が弾むだろう。普通は待たされれば腹が立つが、目の前でぐつぐつしていれば気の短い江戸っ子でも腹の立てようが無い。そして、蟹のように(黙って蟹に集中してしまうほどに)美味くも無いから、会話が主で、合いの手のように鍋をつつくという食べ方ができる。どうだろうか。確かにこれは大発明ではないか。

06月21日 その8

『粉もん』は急に食べたくなったりする。そこで今日の晩ご飯はもんじゃ焼きをリクエストした。もんじゃ焼きはさすがに東京の食い物だけあって、意味不明だし、技も素材もへったくれも無い。ちなみに、握り寿司とか蕎麦とかは東京(江戸)生まれだというが、それは食べ物として云々では無く、それが早く腹に入れる(満腹感を得られる)ことができるからだという理由であると聞いたことがある。つまりそもそも東京人には食を楽しむという意識は無いようである。そんな東京生まれのもんじゃ焼きは他の地方の人間には理解できないようだ(全く地方に波及しない)。しかし、『食は社交でもある』と思っている私には、もんじゃ焼きは面白い食べ物に見える。

06月21日 その7

高麗がどうのという番組をやっているが、そもそもキチガイの心理を推し量ることには無理がある。何を考えているのかを常人が理解できないからキチガイなのだから。しかし、高麗は隣に住む『騒音おばさん』のような存在だとも位置づけられる。騒音おばさんはとても迷惑な存在だが、脅そうが誤ろうが無視しようが騒音を出して嫌がらせを続ける。なぜなら、@寂しいからである。騒音を出して嫌がらせをする以外に社会に参加できないからである。だから騒音を出すのである。刺激しないようにするのは最もいけない。無視をされたと誤解してより張り切って騒音を出す。A暇だから騒音を出す。多くの人はすることが無いという状況に耐えられない。本当はすることが無いのでは無くすべきことから逃げているだけだが、そんな情けない自分を許せないから騒音を立てて憂さを晴らすというすんぽうだ。まあ引きこもりの婆バージョンのようなものだ。引きこもりに優しく接することは最もいけない。そんなことをすれば友達ができたと錯覚して大喜びで騒音をエスカレートする。残念ながら引きこもりは己で乗り切るしか無い。隣人にできることは何も無いのである。

06月21日 その6

姪の子供がアレルギーだという。何でか。昔はアレルギーも花粉症も無かった(ギョウ虫はいた)のに、今では花粉症、アレルギー、アトピーなどの後天性免疫不全症のオンパレードだ。ストレスが主な原因だといわれるが、昔に比べて今の方がストレスが多いということか。戦前は色々な立場(例えば嫁と姑)がストレスになったろうし、戦後は食べられないことがストレスになっただろう。いつの世の中でもストレスはあったろうし、我々は今よりずっと不健康な添加物を食べていたし、栄養状態も良くは無かったはずだ。今の世の中の人間だけが異様にストレスに弱いという理由も思いつかない。生命現象(生き物の働き)とは不思議なものだ。ひょっとして、『幸せであること』がその原因だったりして。

06月21日 その5

だいぶんと沢山のマッシュポテトができたらしく、女房殿が「ちゃんと食べてよ」なんて言っていた。こんな私でも食べようとすればすぐにも平らげることができるが、私には計画があるから少し取っておきたい。実は一週間ほど前にテレビで観たハムが美味そうなので通信販売で買ってしまった。それがそろそろ届くと思うので、そうしたらそのハムとマッシュポテトを一緒に食べたいと画策している。無論いつ届くか分からないが。それにしてもいつまでもは待てないので、明日届かなければ、小さな耐熱の器でチーズと共に焼いたりして食べてみようと思っている。素麺をパスタに見立てて山芋と玉子を混ぜたもので食べたら美味かったが、新しい組み合わせは小さな理科の実験のようでワクワクする。

06月21日 その4

『人間万事塞翁が馬』なんて言うが、死にかけとしては本当にそう思う。死にかけてやっと人の優しさが理解できたり、動けないから動けるありがたさが分かったりする。つまらないことに幸せを感じたり、つまらないことに腹を立てていたことを反省できたりする。実際にまな板の鯉になってみれば、生きたいとも思わないけれど、特に死にたいとも思わない。だからどうということはないけれど、だから不幸だという事も無い。窓の外を楽しそうに(本当に楽しいかどうかは知らないが)モンシロチョウが飛んでいる。だからどうということはないが。

06月21日 その3

人生は自由でどんな選択も可能である。無論、引きこもって家族に迷惑をかけ、煮詰まって無差別殺人に走り、捕まって裁きを受けるという人生も選択できる。社会も育ちも親子関係も一切関係が無い。ただ本人がそれを選択し、全ての責任を負うに過ぎない。白い犬の孫社長は、多分台湾人として相当に差別され、虐められ、貧乏な中で育ったことだろう。しかし彼は引きこもらなかったし、そんな日本人を恨むだけの人生を選択することも無かった。単身アメリカに渡り、コンピュータ技術を持ち帰り、そして今の業をなした。結果は選択から論理的に導かれ、自由と責任は表裏一体の関係にある。ただそれだけのことだ。

06月21日 その2

人生において失敗することは多い。その際に必要なことはまずは応急措置だろう。そして失敗の分析と再発防止の手立てを講じて再起を図る。一方、最もしてはいけないことは後悔である。後悔からは何も生まれない。後悔とはいわば引きこもりのようなものだ。この社会で生きる以上、その社会に受け入れられないとしたら自分に欠陥があることは明白だ。ショックを受けて引きこもったとして、それは社会に何の影響も与えないし自分の成長にも全く寄与しない。つまりは引きこもっている時間は全く無駄な時間であるという事になる。観音様はそんなには優しくない。自分で一歩を踏み出さない者に手をさしのべることは決して無い。

06月21日

毎年この時期になると『戦争の悲惨さ』を語り合う意味の無い行為が盛んになるが、本当に我々が議論すべきは『戦争に至った原因』、『負けた原因』及び『それを支えた国民の意識』に関する議論だ。軍部の暴走というのは確かにあっても暴走を止められなかった統治の仕組みや国民感情を議論しなければまた同じ轍を踏む可能性がある。信頼性がある国産ロケットができたのは『失敗の分析と再発防止のための改良』を積み重ねたからだ。戦争においてもそれをしない限り将兵の死はただの無駄死にになってしまう。

06月20日 その11

今晩はステーキとマッシュポテトだった。実際に食べてみると予想通り実に美味い。美味しいとはステーキとマッシュポテトを同時に口に入れたときの感覚だ。塩辛は単独で食べることも可能だが、塩辛と炊きたてご飯を同時に口に入れたときの痺れるような美味しさがたまらない。この組み合わせも実にベストでとても美味しくステーキをいただくことができた。

06月20日 その10

食べ方は重要で、肉や魚のタンパク質に炭水化物を組み合わせることが基本になる。炭水化物はご飯が基本だがそれだけでは面白くない。外国ではパンや芋を食べるから日本でももっとそんな食べ方が楽しまれてもいい。まず日本でもおなじみは粉もんだ。先日、すり下ろした山芋に玉子を混ぜてそれで素麺を食べたが美味かった。粉もんは既に完成し定着しているから特に意識する必要はない。次いではジャガイモ。ステーキなどをいただくときにはご飯よりもマッシュポテトが向いている。パンを付け合わせるむきもあるが、しっとり感やホッとし感はポテトには及ばない。ポテトを揚げて食べるのは邪道だ。塩でごまかして腹に放り込んでいるだけで全く美味くない。パンは単独でブルーベリージャムなどといただくのが美味しい。豆も穀物に含まれるが、食事としては他の穀物の代わりには成らない。納豆や豆腐をご飯と食べるように、美味しくいただくには他の穀物を必要とする。

06月20日 その9

貝は焼いて食べるのが一番美味い。ハマグリなんかは大きいから一個ずつホイールで包んで焼く。こうすればエキスがこぼれないし、蒸し焼きだからぷりぷりの身を美味しくいただける。アサリは、これもそのまま焼くのが一番良いが、いちいちホイールで包むのは面倒くさい。そうすると酒蒸しのようにして食べることになる。

06月20日 その8

近場で美味しいのは赤須賀漁港のハマグリ会館で食べられる焼きハマグリの定食だ。1000円ほどで5つほどの焼きハマグリがいただけるからこんなお値打ちな定食は他に無い。昼ご飯の時間にそこに行かないと食べられないからハードルが高いが、三重県に行く機会があれば是非とも寄りたい店だ。今日の朝は久しぶりのベーコンエッグだったが、玉子が美味くてビックリした。どうやら普通の値段の(1パック98円では無い)玉子らしい。黄身に味がある玉子は久しぶりにいただいた。人間でもカプセルホテルに監禁されたら病気になる。鶏でものびのびとさせた放し飼いが美味しい玉子につながるのだろう。

06月20日 その7

四日市の白子に行ってみるといい。千代崎の砂浜は美しく海の水はとても綺麗だ。水産試験場のおっさんが言っていたが、どんどんと肥大化していった四日市のコンビナートは高度経済成長の終了と共にその工事が止まり、その結果白子から南の海岸はコンクリート詰めを免れたのだそうだ。経済の事情は変化し、その結果開発の必要性も変化するから、計画をした公共事業も勇気を持って止めるときがくる。公共事業が全ていけないとは言わないが、公務員の意地のために続けることは馬鹿げている。それが上手くいったのは四日市だろう。

06月20日 その6

大悪魔田中角栄の最後にして最大の悪行は長良川河口堰だ。水は溜めれば腐る。金と同じだ。結局、塩害は河口堰などでは防げないし、そもそも減反を行いながら何で農地を広げる必要があるのか。それで多少農地が広がったにしろ、河口堰の維持管理にかかる費用は全くペイできない。裁判で負けても未だに国は河口堰の解放調査を行わない。そのまま莫大な税金が使われ続け、腐った長良川は悪臭を放って地域住民を苦しめ続ける。

06月20日 その5

チョコッと補足。詐欺師は事業と契約したがる。個人の○○商店であっても事業はクーリングオフできないからだ。そんなところも詐欺師を見破るポイントだ。世の中には詐欺がうじゃうじゃいるから、軽い気持ちで得をしようと思わない方が良い。詐欺師はその欲につけ込んでくる。

06月20日 その4

電話工事屋が来た。私は監視できないが工事はNDSだから間違いは無いだろう。NTTを光にする工事は10,000円程の費用がかかるが、ほぼ同額の奨励金が出るので怪しい代理店はそれで満足らしい。発送電分離になると電信柱の権利はどうなるのか知らないが、NTT的には光にすることで随分と電線を減らすことができるので損は無いのだろう。NTTを名乗る電話関連の企業は100%偽物だ。しかし、そんな偽物に騙されるアホは多いし、NTT的には自社の社員を使うより詐欺師を使った方が安いからそんな商売が成り立つのだろう。そんな詐欺師は「NTTの方から来ました」と言う。嘘を言えば本物の詐欺だが、会社が名古屋にあれば、NTTの支店も名古屋にあるだろうから、卑怯な表現だとは思うが『方から』は完全な嘘として糾弾できない。結論としては、電話について完全に把握していない限り電話に関連する全ての営業は断った方が良い。

06月20日 その3

通信販売といういい仕組みができたから、今では寝たきりの末期癌患者でも全国の物産を手に入れることができる。農水省が日本の農業もダメにしたが、昔はJAの不味い米を食う以外には手立てが無かった。しかし、今では農家から直接美味しい米を買うことができる。しかもそれを宅急便が家まで届けてくれるから、寝たきりの末期癌患者でも大丈夫だ。発送電分離なんて法律が通ったが、そんなものは分離してもしょうが無い。日本の電源は品質が良いが、それは使用電力にちょうど見合った発電をするからで、どうせそれを司るところが力を持つ。日本の電力会社は独占をしていても謙虚にまじめにやってきたと思う。台風のさなかに停電を復旧するなんて金の亡者にできることでは無い。一方で宅配とコンビニは益々盛んになるだろう。ヤクザを飛ばして生産者と消費者を結びつけるには宅配は不可欠だし、その拠点としてコンビニが役に立つと思う。要らんことをしなければ事は自ずと成る。

06月20日 その2

鎮守の森とかがあって、中には伊勢の森のように人が手出しできないところもある。一般人は無論のこと、アホの林野庁も手出しはできない。何しろ相手は天照大神様だから葵の印籠よりもさらに強力だ。入ることはかなわないが、そんな森はさぞかし美しいだろう。人の暮らし方にも問題がある。昔は自然を畏怖し、それを壊さないようにとひっそり暮らしてきた。そんな暮らし方をすれば人が暮らすという弊害を最小なものにできるかもしれない。しかし、とりあえずブルドーザーでぶっ潰すというやり方ではその土地の神さんもさぞかし気分が悪いだろう。形だけの地鎮祭をしても土地を大きくいじくると大抵人が死ぬが、神さんを怒らせるとそれなりに怖い。

06月20日

あの文明国イギリスでさえスコットランドにはオジロワシやカワウソが普通に暮らす自然がある。もしそれで人が癒やされるとすれば、近くにそんな自然があれば、それは幸せな住空間だろう。日本では田中角栄という悪魔が、私腹を肥やすために国をグチャグチャにしてしまった。国中に道路を通し、人を住まわせ、自然を台無しにした。そんな悪魔が汚した大地が健やかな人を育むわけが無い。ぎりぎり北上山地のブナ林のような自然も残っているが、地方再生などと言い出せばこれも危ない。かつてどこかの自然の森を間伐してグチャグチャにした林野庁の職員がそれを咎められると、あっけらかんと「森はどこでも手を入れた方が良いと思っていた」と答えたそうだ。だからせめて何とか遺産をいっぱい登録して、アホが手を出せないようにする、これが美しい日本を取り戻す唯一の道だ。

06月19日 その11

ソフトバンクの外人の副社長が半年で165億5,600万円の報酬をもらっていたという。当然違法では無いのだろうが、年間500万円くらいで働いている社員の気持ちは複雑だろう。私なら会社を辞めて悠々自適の生活を送るが、そんなけちくさい人間には大金はよってこない。

06月19日 その10

箱根で噴火があったようだ。そもそも腕白な山のようだから多少はしょうが無いのだろうが、灰は自動車を傷つけたりするからこれも悩ましい。悩ましい国に生きるのだからこれも致し方ないか。

06月19日 その9

章男さんはいつも誤っている。『日出ずる国』だから東の方向は悪くないと思うが章男さん的にはまったく鬼門だ。ろくなことが無い。だからといってアメリカに自動車を売らないわけにはいかないし、そのためにはアメリカ人の取締役もいるのだろう。薬物の規制は日米で違うから悪気は無いかも知れないし、悩ましいところだ。

06月19日 その8

私の若い頃はフォークソングが流行った。私は吉田拓郎が大好きだった。ある日、レコードを買いに行ったら、フォークソングのコーナーに民謡のレコードが置いてあるので驚いた。そのときにはまさか『ナンコウブシ』が南こうせつだとは知らなかった。ショパンをコーピンと読んで恥をかいたこともあるが、私は恥を乗り越えて生きてきた。

06月19日 その7

今日は昼からずっとウロチョロして病院も歯医者も終了した。チョコッと疲れたが寝たきりの末期癌患者としては上々の一日だ。明日は女房殿は茶会に行くらしく、床の間に飾る花が無いとこぼしていた。チョコッと早めに飾るらしいから、今なら朝顔かフウセンカズラか。茶花としてはあまり派手なものはよくないらしく、そうなると百合は娼婦っぽいし、時計草などは何とかパムパムくらいのもってのほかだ。酔芙蓉なんかはオシャレだが、我が家の酔芙蓉はまだ花芽が上がっていない。茶会もなかなか面倒くさいものだ。

06月19日 その6

山羊は臭いのか。私はよく知らないが保育園の園児の声にも文句を言う奥様には嫌がられるかも知れない。山に飼っておいて必要なときに派遣するという方法もあろうが、目を離すと支那人やインドネシア人に食われるという危険がある。この辺が難しいところだ。その一つの解決策は山の中に役場を作るという方法だ。アクセスには無料のバスを走らせればいい。役場が高台にあれば津波対策にもなる。マイナンバーによって役場に行く必要が少なくなるのも追い風だ。

06月19日 その5

山羊を飼っている自治体があるようだが、堤防の草刈りにはうってつけだと思う。彼らもゲップや屁をするかも知れないが、草刈り機の排ガスに比べればずっとエコだ。刈った草の処理も必要ない。うんこをまき散らすという欠点はあるが、エコな粉草刈りのためにはそのくらいはしょうが無い。今年はまだデング熱の話は無いが、草むらには蚊が発生する。蚊は伝染病の原因になる以外に特徴が無い厄介者だ。だから雑草は処分をするに限る。山羊の乳はいいチーズになるようだが肉だって食えないことは無いだろう。老いぼれたら肉としてありがたくいただけば全く無駄が無い。

06月19日 その4

瀬戸内某が有事法制反対のデモに加わっていた。折しも今○○賞の審査が行われているが、概ね賞をもらうような小説家はキチガイだ。大キチガイが小キチガイのキチガイ度を審査しているのだから立派なキチガイが選ばれるのは当然の話だ。そもそも芸術とは狂気の昇華だろうから普通とは違うのが当たり前だが、特に賞をもらうような作品は異次元の世界に行ってしまっているものが多いと感じる。現実社会に暮らすのはしんどいからたまには狂気の世界に遊ぶのも悪くは無いのだろうが、その現実社会に分かったようなふりをしたキチガイが口を出すのは如何かと思う。キチガイの分をわきまえるのが正しいキチガイの生き方だ。

06月19日 その3

避難して一番の心配は家畜だ。避難指示だからといって生き物は待ってはくれない。それこそ当人は死んでもいいから島に残って家畜の世話をしたいだろう。放してやれば野良牛として生きるかも知れないが、それも狭い島では難しそうだ。ちなみに、こんな時に『野良○○』として生きていくにはどちらかといえば草食動物の方が向いていそうだ。草ならどこにでもある。しかも、行動力がある方が良い。生存競争を生き抜かなくてはならないからだ。何となくだが、牛よりも山羊の方が逆境に強そうな気がする。

06月19日 その2

口之永良部島がまた噴火したらしい。やはり噴火のようなスケールの大きい自然現象は、簡単に始まって簡単に終わるという事は無いのだろう。しかも、海上に顔を出した山の先っぽのような小さな島では安全な地域は無い。これはもう年単位を想定した避難を覚悟するしか無いのだろう。東北においてもそうだけれど、日本の災害支援対策は一時的な避難においては高いレベルにあるのかも知れないが、長期的な避難には十分に対応できていないように思える。災害列島に暮らしている以上、そんなところの検討も必要ではないか。

06月19日

トヨタの役員が麻薬で逮捕されたのには驚いた。何事にも用心深く、派手なことを嫌い、できれば不祥事は金で解決し、企業イメージを大切にしてきたトヨタにしては大きな失態だ。さすがのトヨタも麻薬Gメンには手を出せなかったか。一般人が購入する最終商品を販売している企業にとって企業イメージは何より大切だ。状況証拠での逮捕が可能なほかの犯罪なら無実である可能性もあるが、現行犯逮捕が必要な麻薬では無実という事は無いだろう。しょうが無いからひっそりと頭を下げて暮らし、事件が人の記憶から消えるのを待つしか無い。

06月18日 その2

今朝は『ハマグリのしぐれ煮』をいただいた。貝類の佃煮はあまり食べたことが無く、これも初めて食べたがなかなか堅かった。このようなものは少し柔らかくなるだろうから茶漬けが良かったかも知れない。イカなどはあまり火を通すと堅くなるというが、貝はイカの一種なので同じように堅くなるのか。

06月18日

選挙権が18歳になるという法律が通ったようだ。当たり前の法律でそれほどに驚くことでは無いと思うがなぜか一面に載っている。何でこの時期に選挙権が18歳なのか分からないが、18歳で働く人もいるのだから民法も成人年齢を18歳にすべきだと思う。成人年齢が20歳になっているのは単に数字のきりが良いからか。

06月17日 その5

高麗のMERSがWHOの緊急事態宣言を免れた。医療機関でしか感染が起きていないというのがその理由らしいが、十分に緊急事態であると思われる。どういう隔離をすると医療機関内で感染が拡大するのか。高麗人は危機感が薄い。日本にも高麗人によりMERSが持ち込まれる可能性があるから十分に気を付けなくてはいけない。

06月17日 その4

今年は春からずっと萩が咲いている。妙に暑かったり寒かったりすると変なときに花が咲き、白雲木や夏椿はそれで枯れてしまった。萩は強いから大丈夫だと思うがどんなものか。近年の夏は異様に暑くてこのあたりは雨が降らない。一雨降ってくれると涼しくなるのだが。

06月17日 その3

関東あたりで大雨が降ったようだが、このあたりはとても良い天気だ。梅雨なのだから少し降ってくれると涼しくなって良いと思うのだが。エルニーニョ現象の年は基本的に空梅雨の冷夏になるが、今年は今までに無かったほどにエルニーニョが強力なのでどうなるのかよく分からないらしい。人間不思議なもので、夏ならば今日などは普通の天気だが梅雨だと不満に思ってしまう。勝手なものだ。

06月17日 その2

最近では持ち寄り弁当が流行っているらしいがこれは理屈に合っていると思う。外食ではどうしても栄養が偏りがちになるが、一人分の弁当に数種類のおかずを入れるのはなかなか大変である。それが数人の持ち寄りならば、一人は数人分を一種類作れば良いから比較的に作りやすい。そして食べるときは数種類のおかずを食べることができる。おかずの話にも花が咲くだろうし、とても利点が多い方法だと思う。

06月17日

勝ってはいるけれど思ったほど点が取れない。対戦型のゲームでは強いから必ず勝てるとは限らないから油断がならない。エクアドル(インディオ)は、多分、日本人と同じタイプの遺伝子だし、温泉に入るという習慣もあるらしい。勝負事は勝てば良いのだから、兄弟には良い気分で終わってもらうのも良いかもしれない。惻隠の情というやつだ。格好いいぞナデシコ。

06月16日 その7

今日の晩ご飯は鯖の塩焼きらしい。鯖はサンマと双璧をなす美味しい魚だ。素材が美味いからややこしい料理をしなくても良い。美人は厚化粧をしなくても美人なのだ。同じように美味しい素材はコテコテと味付けをする必要は無い。そのままいただくのが一番美味しい。スコットランド料理は不味いという人がいるが、そんな美食家の皆さんは食材に向き合って食べていないのだろうと思う。ご飯をいただくときに「いただきます」と祈る謙虚な気持ちがあれば、多分、コッペパンとワインだけの食事は何よりもありがたいし、美味しいのだろう。

06月16日 その6

『マニトウ(精霊)』(間違っているかも知れない)という映画も懐かしい。無敵のインディアンの祈祷師がいて、彼は大自然の精霊の力を借りて悪魔払いをしている。一方、都会では悪魔が悪さをしていたが、神父ではこれをやっつけることができない。そこで、コンピュータ技師である主人公がその祈祷師にお願いするが、その彼の力をもってさえも悪魔にやられそうになってしまう。都会では大自然の精霊の力が弱まるかららしい。でも、コンピュータ技師である主人公とと協力して、コンピュータの精霊を呼び出し、その力を借りてとうとう悪魔をやっつけるという話だったと思う。実に納得のできる話で、私もコンピュータ関連機器のLEDがピコピコと点滅している空間では悪魔には負けないと感じている。

06月16日 その5

今は美味そうな袋井のメロンを紹介している。アンデスメロンなんてのがあるくらいだから、メロンは南米原産の果物なのだろうか。南米といえば、勿論行ったことはないが、サイモンとガーファンクルという歌手が懐かしい。『コンドルは飛んでいく』だったか、中学生くらいの頃にその曲をよく聞いたものだ。南米という土地に違いはあっても人間には大きな違いは無いのだろう。原住民であるインディオの音楽は音楽には疎い私にも響いた。その頃、こんな私にも初恋があったし、その思い出と共にその曲が懐かしい。

06月16日 その4

今日の『あさいち』で美味しそうなハムの放送をしていたので思わず通販で購入してしまった。後で女房殿にこっぴどく叱られるかも知れないがもう取り返しはつかない。ハムを作るための燻製作業はイオマンテのようだったし、それをトンネルで寝かせるのは荒ぶる神を鎮める行為と思えるし、そして鎮まったものをありがたくいただくというのが人に許された罪の限界なのだ。ならばそんな食べ物が神の祝福を得ないはずは無い・・・かな。なんちゃって。女房様。アホな私をお許しください。

06月16日 その3

私は恋などというものはどうでも良いから最近面白くなかったが、今日の『まれ』は面白かった。美味しいものがレシピの材料を混ぜればできるかといえばそうではないのだろうし、煮詰まってしまった(出口が見えなくなった)ときは気分転換をするのが良いのだろうし、原点(原材料)に返ることはその打開のきっかけになることもあるのだろう。まれが深呼吸をしたときに彼女は確かに自然のエネルギーを吸収しているように見えた。

06月16日 その2

昔の日本にはファッションで平和を語る赤軍派崩れはいなかった。生きることと殺すことが同じことであると肌で感じていた。だから大きな熊が捕れたときにアイヌの人々はイオマンテという儀式を行ってその熊の魂が天に昇るようにと祈ったという。護摩を焚くという形式はその儀式をまねたものだし、御幣はそのときに魂を託した鳥を表したものだといわれている。宗教には色々あるし、学者は色々な理屈をこねるが、日本人は太古の昔からそんな伝統を心に秘めている。そして、一時的には大きな困難に襲われても、悪魔に心を奪われても、不死鳥のようによみがえる、それが日本人の本質なのだろうと思う。

06月16日

生きることの原点は戦争にある。生き物は、生きるために獲物を殺し、生きるために敵を撃退し、縄張りに入った同類を追い立ててグループの命をつなぐ。毎日こんな生臭い営みを続けながら平和を叫ぶ行為はそれ自体が『嘘』という最大の罪を含む。血の滴るステーキを食ったその口で平和を叫ぶ市民運動家とその業を認めて申し訳ないと思いながらひっそりと暮らす人のどちらが正直かは言うまでもないだろう。この生きる機能はDNAに深く刻まれているから、人は戦う必要が無くても時に戦いたくなる。人殺しを極力避けながらそんな衝動を押さえるためにスポーツがある。サッカーはその機能を果たしているから人気があるのだろう。

06月15日 その2

このところ九州あたりで大雨が降っているが、最近ではXバンドMPレーダーというレーダーで降っている雨粒を観測できるようになっているらしい。Xバンドはより波長が短い(光に近い)電波で、波長が短いほど解像度が上がるが減衰が大きくなる。減衰が大きいということは遠くを観察しようとすればより大きな出力が必要になる。高性能な発信装置の開発ななどによりこういったレーダーの実用化が可能になったのだろう。電力制御といえばあの青色発光ダイオードの延長線上に電力制御ICがあるらしい。この分野では是非とも日本の企業に頑張って欲しい。

06月15日

今朝もアジのフライでご飯をいただいた。昨日女房殿は味を求めてスーパーをはしごしたらしい。アジのようなものは時期に入ればいくらでも捕れるイメージがあるが、どうも今年は不漁らしい。夏にはサンマが不漁だったし鰹も少ない気がするが、これは水温の関係か或いは支那人の密漁の結果か。その昔我々はドングリなどを採って食べていたらしいが、それが稲を栽培して食べるようになり生活が安定した。同じように、魚も育てて食べるという時代が来たのかも知れない。

06月14日 その9

今晩はポテトサラダを包んだハムのフライらしい。先ほどから小腹が空いたのでポテトサラダをいただいているが、これをハムで包んでフライにすれば美味しいご飯のおかずになる。私の感覚では芋はご飯のおかずにはならない。ついでにアジのフライもしてもらうと嬉しい。これもご飯には良く合う。炊きたてご飯にアジのフライをのせてこれに少しウースターソースをかければソースの染みたご飯共々とても美味しくいただける。今アジは旬だ。旬の食材が不味かろうはずが無い。

06月14日 その8

久しぶりにのど自慢を見た。相変わらず死にかけと目だちたがりが多く出ていたが、これだけの番組を生で作り上げてしまうNHKの能力は凄いと思う。それと歌が上手い人が多いのにも驚く。合格した大工さんなんか、鼻歌を歌いながらリズムに合わせて金槌を振ればさぞかしご機嫌だろう。歌が上手くて困ることは何も無い。

06月14日 その7

今日のお昼は生姜焼きだ。これは何国の料理だか知らないが、実にご飯によくあって美味しい。久しぶりに冷や奴も食べたがこれもうまかった。生姜焼きは季節不明な食べ物だが、やはり奴は夏が美味しい。暑い国は香辛料の沢山はいった食事をするようだが、日本の夏は冷や奴か素麺だ。こんなところも誇らしい日本の文化では無いだろうか。

06月14日 その6

昭和30年代あたりを懐かしむ人が多いのは、今、街が牢屋のようになってしまったからでは無いだろうか。昔は『縁側』があってそこい人がたむろっていた。何故かよその子供が飯を食っているというようなことも当たり前だった。それが今はどうだ。家々は牢獄のように仕切られ、プライバシーというのか、どんな人間が隣に暮らすのかもよく分からない。私は、こんな人の集まりは街とは呼べないと思う。自由の反対側には義務があるし、健やかには不便や危険がつきまとうかも知れない。しかし、選択の問題ではあろうが、腐敗臭のような引きこもりを生じる仮面をかぶった奥様達が暮らす不健康な街が好ましいとは私には思えない。

06月14日 その5

最近は年金問題や集団的自由権の議論が喧しいが実にアホな議論だと思う。軍事行為が違憲かどうかなどと問えばそんなものは違憲に決まっている。そもそも自衛隊の存在が合憲であろうはずが無い。しかし、軍隊嫌いの奥様達が沢山いる以上は憲法改正などは望めない。そんな状況で支那から国を守るには嘘を通してでも自衛隊に存在してもらうしか無い。そして、自衛隊をイージス攻撃に参加させるには集団的自衛権を認めるしか無い。それだけのことだ。

昔、こんなことも分からない人などはいなかった。団塊の世代という悪魔が登場して、日本に『憲法9条』という嘘が蔓延し、美しい日本の国を肥溜めにしてしまうまでは。今その悪魔達が命を終える時期を迎えている。彼らがいなくなれば少しずつ日本もまともな国に戻るのだろう。肥溜めは長い間臭い匂いを発してきたが、もう肥料として熟成されてきたような気配を感じる。近々死にいく身としては、将来はこの肥料がより美しい花を咲かせてくれるようにと願っている

06月14日 その4

女房殿は茶会に出かけ、私はベットで赤カブをつまみながら茶を飲んでいる。いつもの日曜日で珍しいことは何も無い。窓の外は曇っていて、エアコンをつけなければ多分蒸し暑いのだろう。こんな日本に暮らしていれば確かにいかにも清々しそうなアルプスは羨ましいが、アルプスで赤カブをつまんでも絵はならないだろう。まあ何が幸いかなどということは凡夫には分からないことだ。

06月14日 その3

スイスといってもアルプスのハイジという漫画でしか知らないが、アルプスで食べるチーズというものは確かに美味そうだ。食べ物などどこで食べても良いようなものだが、それでも熱帯雨林のジャングルでチーズフォンデューを食べたいとは思わないないだろう。それで少し思い巡らせてみると、暑いところには美味いものが無いように思えるが如何なものか。

06月14日 その2

凜として生きることと清貧に生きることはイコールでは無い。清い水は餌が少なく、しかし、雑菌のようなものも少ない。イワナやヤマメが好むが、必ずしもそれが小汚いところを好むボラや黒鯛よりも偉いということにはならない。好みの問題だろう。

うちの猫は20年以上も生きたし、犬は15年たってもまだ元気だ。獣医も驚く長生きだが、その秘訣は肥満では無いことだろうと考えている。長生きが嬉しいかどうかは別にして、食欲から少し離れて元気に長生きするという選択肢はあるのだろうと思う。

06月14日

今、NHKの『うまい』という番組を見ている。日曜日は楽しみにしていて、全国に行かなくても美味しいものを知ることができる。今日はシェーブルチーズということで、これもうまそうだ(比較的に何が出てもうまそうだと思えてしまう)。最近は通販も発達しているから、取り寄せれば居ながらにしてその美味しいものをいただくこともできる。いい世の中だ。

06月13日

犬と歯医者も済んでこれで今週の懸案は終わりだ。多少疲れたが終わればやれやれだ。赤カブをつまみながらゆっくりとする。ピアゴではカブの置き場所が少し良いところに変わったらしい。少しは売れているということか。

06月12日 その3

病院が済んだ。診察だけだが、それでも日頃動かない私は疲れてしまう。まあ、やれやれである。テレビがピロピロいったの何かと思ったら愛知県に竜巻の情報が出たようである。良い天気に見えるが、これが突然に急変するのかも知れない。土砂崩れや洪水には強い立地条件だと思うが、竜巻ばかりはどこに現れるか分からないから安心できない。ただこちらに来ないことを願うのみだ。

06月12日 その2

色々な規制緩和がされるようだが、『美容と理容は併設してはいけない』という意味不明な規制が緩和されるようだ。変な規制は色々あるのだろうが、これなんかも実に不思議だ。理容師と美容師の資格が別なのがよく分からないし、そもそも、床屋と美容院が別に存在するのが不思議だ。業界のこだわりで別々に開業してると思っていたがそれが規制だったとは、目から鱗だ。毒薬のようなものは危ないから法律で規制して欲しいが、このようなつまらない規制はどんどんと廃止して欲しいものだ。

06月12日

今朝初めて『赤カブ漬け』をいただいて本当に感動した。昔『赤カブ検事奮戦記』なるドラマをよく見ていて、主人公が美味しそうに食べる赤カブ漬けが食べてみたかった。しかし、田舎のスパーにはそんな洒落たものは置いて無くて、食べることができないでいた。今回は女房殿がピアゴで買ってきてくれたので食べたが予想通りに美味かった。うま味と酸味が絶妙に混じり合った味、これこそが私の求めていた発酵食品の味だ。味噌や醤油など酸味を感じない発酵食品が多い中でこのような気合いの入った発酵食品は嬉しいじゃないか。いつかは『スンキ』も食べてみたいものだ。

06月11日

天草の方では大雨で凄いらしい。水はけが追いつかずに水がたまってしまうと言うのだから凄い雨だ。何でも今年は超強力エルニーニョとかで、どんな天気になるのか分からないというのだから恐ろしい。広島でもそうだけれども最近は雨が集中するようだから注意が必要だ。ただこればかりは注意のしようもないしどうしようも無い。ただ自分の家には災害が無いようにと祈るのみである。

06月10日 その4

沢山のジャガイモを入れてくれたので煮麺はなしでいただいた。完璧を求めるのであればこれにイワナの塩焼きでもあれば言うことはないが、貧乏な末期癌の分際でそこまで我が儘を言っては申し訳ない。最近では腸内細菌に餌をやって免疫を高めるために水溶性食物繊維を沢山摂ると良いと言われているが、こんなに美味しいものを食べてしかも健康になるのだから末期癌もビックリだ。一人で頑張っていた頃はそれなりに辛い部分もあったが、今はすっかり医者に任せているから気楽なもんだ。

06月10日 その3

障害者であっても障害の無いところで楽しむことができればありがたい。行動に制約のある私の場合はその一つは食べることだ。これまたありがたいことに女房殿が望みを叶えてくれるから私は好きなものを食べることができる。まだ食べたことの無い有名な食べ物にはキャビアやフォアグラがあるが、不思議とそれらが食べたいとは思わない。もし晩飯のメニューを聞かれれば、今ならニュー麺が食べたい。本当の呼び方はよく分からないが、私のイメージは温かい味噌汁に素麺を入れたものだ。当然に女房殿の予定が優先するが、聞かれれば私はそう答えようと思う。

06月10日 その2

今朝は麻婆豆腐。ご飯にかけて食べると美味しい。ご飯も大豆も種だからこれは健康に良い。食べるということは命をいただくということだが、いただく命は丸ごと(全て)いただくという方法が時に良いらしい。魚や肉では頭や骨を食べないし野菜でも一部しか食べない場合が多いが、種ならば普通に全てを食べることができる。

06月10日

ナデシコは勝つには勝ったがどうもパッとしない。基本的にスポーツは動物としての機能が優れている方が有利だろうから、その部分で遺伝的に劣っている日本人が西洋人に勝つのは難しい。猫とチータがかっけっこをするようなものだ。優勝したときのナデシコは守りが凄く、あまりにしつこく守るから相手はイライラしただろう。イライラするとミスが出たりする。そこに勝機があったのだろうと思う。

06月09日

市販のたたきも美味かった。やはり決めつけはいけない。何事も柔軟に対応する必要がある。さて、私は概ね一日テレビを見ているが、今日はこれから女子サッカーの中継があって楽しみだ。サッカーファンでも無い私だが、日本対○○となると妙に盛り上がる。所謂にわかファンというやつだ。ファンの方には申し訳ないが、まあこんな楽しみ方も許して欲しい。

06月08日 その2

今晩は鰹のたたき。私はマグロよりもむしろ鰹のたたきが好きで、元気な頃には鰹は必ず私が刺身用の竿を買い、自分で炙って作ったものだ。私は、鰹は炙った部分と生の部分の境界が美味いと考えているので、全面をしっかりと炙る。しかし、店で炙ったものは皮を少し炙っただけで、私としては物足りない。今日は数年ぶりに店で炙ったものだから気に入るかどうか分からないが、久しぶりのたたきは嬉しい。果たして市販のたたきの味はどうか。

06月08日

カツカレーは不味かった。まずカツが不味い。肉が固く、さくさく感が無い。実家近くの私の同級生がやっている店で肉の味には定評があったのだが少し落ちたようだ。さらに、カレーが辛い。何故か辛みに敏感になって以前は美味かったCoCo壱番屋のカレーを辛く感じる。病気による体調の変化か、薬の副作用か、いずれにしろガッカリした。それで今日は玉子をかけていただいた。狙い通りカレーの味がマイルドになって美味かった。もうこうなれば理由もクソもない。症状に対応していくしか無いのである。

06月07日 その2

今日は3時という遅い時間から女房殿が髪結いさんに行くというので帰りにCoCo壱番屋のカツカレーを頼んだ。カツも食べられなかったが、先日義歯が入ったら今日は晴れの『カツカレーデビュー』だ。昔のようにうろうろしないから(ついでにカレーを買う機会が無いから)久しぶりのカレーでもある。ご飯も炊きたてだし、久しぶりに晩ご飯にワクワクする。

06月07日

最近火山やらが活発だ。いつか富士山も噴火しそうな気がするが今のところその兆候は無いらしい。噴火はえらいことだが、そもそも日本ではこのくらいが普通で、最近の数年間がむしろ異常に少なかったらしい。東北でもそうだけれども、この国に住む限りそれらの災害からは逃れられない。有珠山の周囲には火砕流で焼けてしまったところが多くあるらしいが、そんなところには『荒れ地に最初に育つやつ』がいて、場所によってはそんなフロンティアが頑張っているところもあるらしい。面白いもので荒れ地に強いやつは真っ先に繁栄するが、普通の森が茂るようになるとひっそりと退場していく。人間なら「折角辛い時期に頑張ったのにそれを横取りするなんてずるいじゃ無いか」と怒るのだろうが、自然にとっては当たり前のことだから生き物は文句を言わない。だから、多分、森にはストレスが無いのだろう。

06月06日 その3

歯医者も終わってやれやれだ。帰りにソフトクリーム(ニューッと絞り出すタイプ)を食べようと思ったのだが、何と、ローソンにはソフトクリームは置いて無かったので「今時そんな店もあったのか」と驚いた。単なる怠慢では無いだろうから何か理由があるのだろう。例えば、保健所からの設備的な制約とか、資格を持った従業員が必要だからとか、そんな鬱陶しさがあるのかも知れない。しかし、だからといって取り扱わないというのは少し違う気がする。

06月06日 その2

最近天気予報で日本地図をよく見る。すると知床の上に北方領土がくっついている。昔から北方領土問題とか言ってあれを返せと言っているが、それでは返して欲しくないと言っているようなものである。なぜならば、返せば「ごめんなさい私が盗りました」と言っていることになる。戦争では裏切りが当たり前であり、奪ったものは私のものだからだ。それではどう解決するか。サハリンはあげることにして、四島を含めた千島列島を半分位買い取ったらどうだろうか。買うのであれば文句はあるまい。今でもそこで捕れた蟹をロシアから買っているのだから、長い目で見ればペイするだろう。「やった。やられた」と目くじらを立てていては上手くいかない。世の中は本音と建て前だ。

06月06日

日が出てきた。外に出ないのだからどっちでも良いようなものだが、それでも不思議なもので窓の外は晴れていた方が気分が良い。仏教ならば密教の本尊大日如来になるのだろうが、理屈のクソもない太古の人達は地域が違っても概ね太陽を崇拝している。これはそんな気持ちが根源的なものであるという証だろう。難しい理屈をこねたものには大抵無理がある。本当に正しいものはシンプルなものなのだろう。

06月05日

抗がん剤治療を続けてきて、ここのところ食欲が無いし、どうも身体が疲れているような感じがする。これは抗がん剤の副作用かと思うが、2週間飲んで1週間休みという変な飲み方はどうもこういう副作用のせいがあるのかも知れない。それで、今朝女房殿から今日が薬を飲む最終日だと知らされてホッとしている。こんな状態でも日々暮らすのは健やかな気分で暮らしたい。

06月04日 その2

今日は本を買った。インターネットで本を買うのは久しぶりだ。一つは40年便秘が云々という便秘解消のハウツー本で、私には関係が無いが、姪が便秘性だった(出産で治ったかも知れないが)のでプレゼントしようと買ったものだ。テレビで紹介していたものだが私の知識では実に理にかなっていると思う。もう一つは光秀の子孫が先祖の汚名を晴らすために通説に異論を唱えたものらしい。こちらは内容の紹介は無かったのでよく分からないが、よくこれまで辛抱強く研究をしたものだと思って読んでみることにした。歴史なんて後の作者が意図を持って書くから嘘ばかりらしく、少し前には鎌倉幕府の年代が変わったり、聖徳太子は実在しなかったとなったりで無茶苦茶だ。

06月04日

今日も朝寝てしまって女房殿を送ることができなかった。今の私が唯一できる家のことだから何とか続けたいが、ご飯を食べると眠くなってしまう。ひょっとしたら抗がん剤の副作用かも知れないが、しかしこれくらいの副作用なら文句を言ってはいけないか。癌は私の細胞である。素人的に考えれば、身体という社会にはびこる不良少年のようなものだろう。確かに不良は社会に害をなすが、しかしだからといって不良だけを撲滅する上手い方法は無い。犯罪を起こした者を逮捕するのはがん細胞を切除するようなものだろうが、それでは次から次へと不良は現れてきりが無い。抗がん剤は不良のみが嫌がることをして世の秩序を回復しようとするのだが、これは大音量で道徳の朗読を流すようなものだ。確かに不良は嫌がるかの知れないが、善良な市民にとっても迷惑な騒音だ。この我慢比べをしているのだから多少辛いのは仕方が無いか。

06月03日 その4

私の実家はどちらかと言えば貧民街で、朝鮮人といわれる人が沢山住んでいた。実家は燃料屋だから石油やガスを配達するのだが、チョゴリを着たおばさんの家には子供が入れそうな大きさの瓶がいくつもあって、それが強烈な匂いを発していたのを覚えている。今では食べるが、多分そのせいで小さい頃はキムチが嫌いだった。大根もかなり臭いから似たようなものだが、そんな物で鍛えていても伝染病には効かないらしい。生命の神秘は奥が深い。

06月03日 その3

もう一つ不思議なことは、400人も行方不明なのに潜水士が一人もいない点だ。高麗の海上保安庁の職員には泳げないものが多いと言うことだが、支那人も水泳が得意では無いのか。転覆してしまったのだから潜って助けるしか無いと思うが、或いは400人ぐらいでは本気にはならなのか。いずれのしろ、支那や高麗に旅行に行っても船遊びは止めた方が良い。その上に高麗ではMERSとか言うウイルスが流行っているらしい。ラクダから移るらしいが、あの国は防疫も十分ではないだろうからしばらくは行かない方が良い。

06月03日 その2

支那で竜巻で船が転覆したらしいが、さすがに支那はスケールがでかい。真っ先に船長が逃げたのは高麗と似ているし、一向に救助が進まないのも高麗に似ている。恥を知らない文化では『得をした者勝ち』ということになり、例えば船長としての意気地などというものは存在しない。責任を取って腹を切るというのもやり過ぎの感はあるが、真っ先に逃げるという選択肢は普通の日本人には無いと信じたい。

06月03日

また年金問題が出た。全労働なのか自治労なのか分からないけれど、厚労省には安部さんを嫌っている勢力があるらしい。年金の、大した意味も無い鼻くそのようなデータを流出し、またぞろ『ミスター年金』が批判を強めて国会を混乱させるのだろう。まさに自爆テロだ。もうこれ以上年金機構はどうにもならない。だから自爆テロにはもってこいの組織だ。ここをどう乗り切るか、安部さんの真価が問われる。

06月02日 その3

麦秋だがこれから梅雨に入りそうだ。理由はよく分からないが麦はカラカラに乾かさないと収穫できないらしい。雨が降らなければ心配し、雨が降れば心配し、百姓も大変だ。助成金をもらうために栽培している程度だから自業自得だが、まじめにやらなければ馬鹿を見るのは自分だ。天気はどちらにしてもブツブツ言われるから良い面の皮だが、百姓も一応事業としてやるのなら天気予報ぐらいは見て行動計画を立てた方が良い。

06月02日 その2

昨日今日と少し食欲が無かったが、折角女房殿がポトフを作ってくれたので少しばかり食べた。人生山あり谷あり。病気も善くなったり悪くなったりだ。これは致し方ないだろう。最近、光秀の子孫が本能寺の変の異説を出したようで、人の評価もころころ変わる。女房殿が吉良の出身だが、一般的に評判が悪い吉良上野介も最近では実は名君だったなどと復権している。少し冷静に考えれば浅野に褒められるところは無いのだから、忠臣蔵なる演劇にはそもそも無理がある。すぐに切れる適応障害の殿様とテロリストであるその家臣の物語だ。敵を討つことが褒められるのなら、我が子を殺された親が犯人を殺すのも褒められるはずだ。着飾った奥様の子供が殺されたら、まさか敵は取らないだろうが、ウツかなんかになって現実逃避をするのだろう。身の処しようは色々だ。

06月02日

年金機構が年金のデータを流出させたと言うことだが、データを管理する組織としてたるんでいるにも程がある。所詮組合に熱を上げているアホはこの程度で、己らの記録は扱っていないから気楽なもんだ。そもそも年金のデータなどは大した情報では無く、手続きにあれほど細かいことを言う必要は無い。それを話をややこしくしているのは己らの仕事を作りたいからだ。それならばちゃんと管理すれば良いのだが馬鹿だからそれはできない。困ったもんだ。

先ほど九州南部が梅雨入りしたそうだ。今年の梅雨入りは遅くなるとの前評判だったが、それなりの時期に梅雨入りしてくれて百姓は喜んでいるだろう。

06月01日 その2

私も近くのコンビニ位には買い物に行けるようになったので、お世話になっている女房殿に『悪巧み(食事付茶会)』をしてはどうかと勧めてみたら、「それならもう一回入院して」と言われてしまった。二ヶ月ほどの入院で70万円近くの入院保険金が入ったらしいからもう一度金儲けをしてこいということだろうが、入院はこっちの都合ではできないようで、医者に断られてしまった。世の中はそんなに上手くはいかないようだ。

06月01日

いよいよ六月だ。だからといってどうということはないが一応区切りではある。今名古屋の写真が写っているが、郵便局跡のビルもダイブできてきたようだ。リニア新幹線も来るし、JR高島屋の外側にも賑わいを広げようとしているようだが、私はそうはいかないと思っている。JR高島屋に必要なものは全て揃っているし、そんなに遠くまで歩く程の魅力を演出するのは大変だと思う。