ダラリをなくす

労基法の規制は別として、その労働が本人と会社に莫大な利益をもたらし、本人の健康を害するものではなく、家族を犠牲にするものでもなければ、いくら残業をしても誰も不幸になりません。一方、無駄な残業は本人と会社を疲れさせ、無理な作業は労災や故障への対応といった無駄で不幸な仕事を作り、ムラのある作業は生産計画を狂わせて職場を混乱させます。実は、「ダラリをなくす」の愚直な積み重ねこそが、ハイレベルな職場における無駄な残業抑制の正攻法であり、決定打なのです。

1)無駄な仕事
  「その仕事は必要か」と問えば、担当者はいくらでも必要な理由を並べます。でもひと思いに止めてしまっても何の問題も生じない
  仕事は意外と多いものです(形骸化した定例会議など)。少しの工夫で止められる仕事も、その多くが放置されています(材料や工
  具を探す時間など)。無駄な仕事をしないことは、副作用なしに作業時間を削減します。

2)効率化の悪循環
  色々な意味で残業時間を抑制したいが生産量は確保したいという課題に対して、新しい治工具や装置の導入が提案され、実行される
  ことは多いのですが、その結果、目論見通りの効率化につながらないことも多いと思います。多くのダラリを内在したままの作業や
  装置を複雑にすれば、さらに多くのダラリを生ずることになり、効率化の取り組みがかえって効率化を妨げるといった悪循環につな
  がってしまいます。

3)ダラリをなくすという仕事
  作業者に能力差がある以上、瞬間瞬間に、仕事が集中する作業者と仕事がない作業者を生じます。仕事がない作業者は、仕事をして
  いないと辛いですから、無駄な仕事をしてその間を乗り切ろうとします。一方、「ダラリをなくす」という納期がなく、尽きること
  もない仕事を与えていれば、手の空いた作業者は「ダラリをなくす」という会社にとって決して無駄にならない仕事をすることがで
  きます。また、ダラリをなくす取り組みは、誰でもできて、ワクワクするような面白いことですから、通勤時間や休憩中にもそのこ
  とが頭を離れないことがあります。それは会社にとっては勿論のこと、本人の精神衛生上もプラスに働きます。