評価基準を見直す

多くの会社で残業の多い人を「よくやっている」と評価する傾向がありまが、それでは残業が増えるのも当然です。では何故そうなってしまうのでしょう。

1)生産計画・工程管理ができていない
  作業時間(特に段取り時間等の周辺作業に要する時間)が把握できてない、生産計画を立てていない、工程管理が正確に行われてい
  ない等の理由により作業の進行を作業者に任せれば、管理者は作業時間でしか作業者を評価できません。実はそれが悪循環を生んで
  いるのです。お金の欲しい作業者は、必要であれば残業のための仕事を作ってでも、好きなだけ残業をします。次に、それが評価さ
  れるからみんながそれを見習って長時間残業が恒常化します。すると、業務改善の意欲と能力のある人は嫌気がさして辞めてしまい
  ます・・・。それでも儲かっていた時期には不都合はありませんでした。でも最近では粗利率が低下しています。そこで基本給を下
  げて対策しようとします。すると正社員は集まりません。仕方なく偽装委託で凌いできたのですが、このところ摘発が厳しくなって
  いていつまで続けられるのか不安です。派遣は正社員以上に高くなっていますし、派遣期間の制限があります・・・。それを中国や
  インドネシアからの研修生で凌ごうという気運も見受けられますが・・・、本当にそれで良いのでしょうか。

2)労使が信頼し合っていない
  「社長は何も見ていない」「従業員はすぐにサボる」の労使関係では、労働者は残業代でしか給料を確実に増やす手だてがありませ
  ん。だから、あの手この手で残業をすることになり、経営者は「どうやって残業代を払わないですますか」を考えます。でも私は、
  残業時間というのは実はどうでもよい特性値なんだと思っています。儲かればいくら払っても良いのだし、仕事もしないのに法律を
  盾に請求されて払い続ければ会社は傾くだけです。それはどちらの得にもなりません。

  今では、組合は赤旗を振って働かず、経営者は私生活に会社のお金を散在していても食っていけた時代が懐かしく思い出されるので
  はないでしょうか。じゃあどうするんだ。前項では監理の必要性を提案しましたが、実際に人間らしい働きが提供されているとすれ
  ば、それを数値で管理しようとしても監理しきれるものではありませんし、杓子定規な監理などはイノベーションを妨げる弊害でし
  かないという意見もあります。ではどう評価するんだ。そこに「互いに分かり合う」ことの重要性が登場します。所謂コミュニケー
  ションと教育の重要性です。例えば考えてみてください。朝、社長が出社する。すると20メートル手前からA君の背中が見えた。無
  論、A君が抱えている問題は承知している。発しているオーラで彼の元気がないと確認する。そこで適切な声掛けをする。A君は社
  長が見守っていてくれることに感激し、勇気づけられる。潰れそうになった気持ちを鼓舞し、A君は仕事に向かう。社長は、ふと知
  り合いを思い出し、A君の援護射撃を頼む・・・。仕事が旨くいってA君は意気揚々と報告する。社長はその功をねぎらう。労使が
  気持ちを通じ合える関係を築くこと、本来はこれこそが日本企業の強みであったのではないでしょうか。経営の手法を無視するので
  はない。心のつながりを軽視するのでもない。その絶妙な組み合わせこそが、システムを考える基調になくてはならにのではないで
  しょうか。